「渋沢栄一」という人は日本銀行を作った人といった感じの知識でしたが、津本陽氏の「小説渋沢栄一」を読み、想像以上に凄い人で驚きました。

1840年に埼玉県深谷市千洗島の農家の息子として生まれ、読書、撃剣、習字など学びに熱心で、家業の手伝いで商才もあったようですが、江戸に出て徳川慶喜公に使え武士に取り立てられます。1867年に徳川昭武公のお供でフランスに向かいます。フランスで明治維新を迎えることになりますが、このヨーロッパ訪問が彼の人生にとって非常に貴重な経験となりました。

 

私事ですが、自分の人生において、大学3年生の時に世界青年の船に乗船し、2カ月間13カ国の青年たちと共に旅をしました。広い世界を知り、貴重な経験で、自分自身の人間としての基礎が出来たように感じています。

 

帰国後、明治新政府にとって渋沢栄一氏のヨーロッパでの知識は貴重で、大蔵省にて勤めることになりますが、民間の商工業を育てたいとの思いから役所を辞めて、経済界で活躍をすることになります。銀行や紡績、鉄鋼、造船、鉄道など今日の産業の基になる株式会社の立ち上げに関わります。また商工会議所を立ち上げるなど、日本の経済施設のほとんどすべてと、近代商工業を育成した第一人者として産業界の先頭に立ち活躍されました。

 

経済活動と共に、養育院や日本赤十字社、籟予防協会の設立に携わるなど社会活動も熱心に行いました。

 

1931年(昭和6年)に亡くなりますが、晩年は悪化する日米関係を修復するため経済界を代表して何度も訪米し、排日運動の緩和を求めて取り組みましたが排日運動を抑えることは出来ませんでした。

 

渋沢栄一氏の91年間の生涯に触れ、私もかくありたいと思います。新型コロナの影響で経済や人の心がボロボロになっていく中で、来年NHKの大河ドラマ「青天を衝け」にて、渋沢栄一氏が主人公として取り上げられることはまさに時期を得ているように感じました。

 

幕末の歴史好きの私は、明治維新の立役者たちの生き様に惹かれておりましたが、同じ時代に日本経済・産業の土台を作った渋沢栄一という人物に非常に興味を持ちました。この時代の日本人に負けないよう、私自身、もっともっと努力しなければと感じています。