新型コロナウイルスをあえて「武漢ウイルス」とか「武漢肺炎」と呼ぶ人をSNS上で見かけるようになりましたが、最近、政府幹部や政治家にもそのような人が出始めましたので私の思いをブログに書きます。

 

私は、四日市で生まれ育ちました。「四日市ぜんそく」という大変な時代を先人たちの努力と犠牲で乗り越え今日があります。幸い私は、「四日市ぜんそく」の困難を経験することのない世代ですが、教科書で「四日市ぜんそく」を習った時には決していい気持ちはせず、大学生になり上京し、四日市出身というだけで「ぜんそく大丈夫?」などと聞かれることにいい思いはしませんでした。おそらく私と同じような思いを経験した四日市人やもっと酷い経験をした四日市人はたくさんいたことと思います。もしかすると今でも同様の経験をしている四日市の若者がいるかもしれません。

 

負の出来事が起こった時に、地名をつけるということは、何の罪もないそこに生まれた未来の人たちにそのレッテルを貼ることにつながるということを私たちは経験しました。そしてそのレッテルが取れるには相当な年月が必要になります。人類はその貴重な経験を乗りこえ、武漢発祥のウイルスによって世界が非常事態になっている今、日本はそのウイルスを「新型コロナウイルス」と呼ぶことが定着し、国際的には、WHOが、「CORONAVIRUS DISEASE(コロナウイルス疾患)」の頭文字と発生年を組み合わせて「COVID(コビッド)-19」と呼ぶことに決めました。

 

個人的に中国が嫌いな人やイデオロギーや、政治的な思惑がある人は、「武漢ウイルス」や「武漢肺炎」と呼びたいのかもしれません。そのような価値観の違う人にまで私は求めませんが、人として、相手が嫌な思いになるかもしれないことをあえてしない方がいいと感じます。

 

政治家は、「過去の経験から学び、未来の人たちのことを考える」ことが求められます。かつて日本の保守政治家は、日本に対する不当なレッテル貼りには毅然と戦い、他国の立場も尊重し、決して蹴落とすような卑怯なことはしませんでした。今回政治家が、意図的に「武漢ウイルス」や「武漢肺炎」という言葉を使っている姿をみると本当に日本の政治の劣化を憂います。相手の気持ちになって物事を考えることが出来ない人は政治をやってはいけないと思います。

 

新型コロナウイルス対策に知恵を絞り、全力で取組んでいる政治家もたくさんいます。もちろん日本人を含め世界の多くの人は、相手の立場に立って考えられる人たちです。様々な思惑から意図的にやっている価値観の違う人たちに流されないようにしたいものです。