参議院議員の定数が6増されようとしています。一票の格差の問題が違憲とならないようにするには、どうしても都市部の議員が多くなり、田舎の議員が少なくなりますが、そのことの是非にはいろんな議論があると思います。

 

私は今回の参議院議員の定数6増の大きな問題点は、「特定枠」を設けることだと考えます。各政党が定めた順位に従い当選者を決める拘束名簿式を一部導入することで、有権者が選ぶことなく当選する候補者ができるということです。衆議院選挙においても比例名簿での優遇や復活当選など有権者が選んでいない候補者が当選することには問題がありますが、参議院においてもこのような「特定枠」を設けることに私は大反対です。

 

世の中の流れは議員の定数を削減していく流れです。三重県議会では、私が県議時代に平成31年時の選挙から定数を51から45に削減する条例案を可決しました(この可決に至る経緯や議論は私の著書「四日市の未来へ」に詳細に記してあります)。しかし私が議員辞職後に6減は多すぎるとの理由から様々な議論があり、平成31年時の選挙の定数を51のままに戻す条例案が先日の議会で可決されました。

 

自民党支持の方々はこの三重県議会での実質定数を6増とするとした新政みえなどの対応を厳しく批判し、争点となっています。一方参議院議員の定数6増に関しては、野党支持の方々は厳しく批判し、自民党支持の方々はだんまりを決め込んでいます。

 

今回の三重県議会と参議院の定数6増問題をみていると、自民党や野党もその置かれた立場で主張が入れ替わります。そんな中、私達有権者は支持政党の枠で物事を判断するのではなく、政治家個人をみて資質を見極めること(ブログやSNSで簡単に政治家個人の考え、人間性をみることができる時代になりました)、政策ごとに判断することが出来るようになればいいのになと最近つくづく感じています。

 

選挙制度は民主主義の根幹であり様々な考えがあり、激しい議論があってしかるべきと考えますが、私は地方においても国においても議員の数は減らしていくべきで増やす議論はナンセンスだと考えます。