2002年の映画マイノリティーリポートを観ました。この映画は2054年の近未来を描いたもので、瞳を使った生体認証や手を動かすことで操作できる映像ソフト、そして2054年モデルのレクサスなど未来の雰囲気に魅了されました。

まだ観ていない方のためにストーリーは控えますが、殺人が絶えない米国で犯罪予知システムを導入し、犯罪予防局が殺人罪を犯す人を未然に捉えて、ワシントンD.Cの殺人発生率は0%になります。

 

政府が国民を監視し未来を予想することで犯罪をなくすことが出来ますが、どんなに完璧なシステムも人間が使う以上100%はありません。その中には冤罪が含まれます。また権力者によって悪用されます。

 

そもそも監視することによってこれから犯罪を犯す人を未然に捕まえることは、殺人予備者とはいえその人の自由犯し、基本的人権が奪われているのではといったことも問題です。

 

こんなことを考えさせられる映画を観ながら先日、我が国で成立した「テロ等準備罪」新設法について考えました。

 

共謀罪とは何らかの犯罪を共謀することが罪になるもので、犯罪準備行為が罰せられることになります。映画のように、殺人準備罪で取り締まることによって治安が良くなったように、共謀罪を導入することによって政府の説明の通り治安が良くなると思います。しかしその法律を運用するのは人間です。

 

野党が主張するように、あいまいな部分が多ければ為政者の裁量の幅が広がります。この法案審議の議論は、正義と正義がぶつかり合いのように感じましたが、準備段階で人を罰する制度を作る以上、政府はもっと謙虚でなければいけないと感じます。

 

15年前の映画ですが、「テロ等準備罪」新設法が成立した今、ぜひあらためて観ておきたい映画です。もしかしたらこの法案可決はスピルバーグ監督が描いた2054年に向けての一歩なのかもしれません。