本作を語ろうとすると、薄っすら在るストーリーに沿い、恋人や親子などのテーマにてしまいそうだが、其れは他の方に託したい。
 自分が再確認できたのは、主観型のゲームに於いてプレーヤーは明確に主人公であり、8番出口のオジさん(歩く男)の様に基本主人公に反応しないNPCは、モブというか背景というか、彼等は何を考えているか慮る必要のない存在である。それは実人生に於いても似た部分があり、日常すれ違う雑多な人々は、ある程度以上の知り合いでないと、やはりモブに映る。
 しかし映画では、歩くオジさん(河内大和)の視点にたてば、歩くJKがNPCの様に見え、歩くJKが主観の世界では迷う男(二宮和也)がNPCの様に見えているようだった。実人生で自分の都合ばかり優先して、周りをモブ扱いして関心を持たないと、結局は自分自身が誰とも分かりあえない孤独に陥りそうに感じた。
 運転でも、主人公感が強いと、対向車や歩行者や自転車などが、自車の都合に合わせて、減速したり停まってたりして避けてくれる筈だと期待しすぎて、事故る。事故ってもやり直せるゲームならまだしも、実人生で一発アウトの地雷を食らぬ為には、独りよがりになり相手の都合を慮る事をサボってはいけないと、我が身を反省した。