1. 国民が爆殺に湧いた理由

 核不拡散は重要だが、2026年2月末にハメネイ師を爆殺した米国のやり方には、多くの国が不快感を覚えた。一方で、イランからの中継に映っていたのは、ハメネイ師の死に歓喜する(決して少なくない)国民だった。その理由は本作を観ればよく分かる。ハメネイ師が課した圧政は、多くの国民を反政府分子として捕え、捜査や聴取の名の下に拷問されていた。戦時中の日本の特高と同じであれば、拷問死も珍しくなかったろう。運良く拷問死を免れても、釈放されて日常を取り戻そうとしても、刻まれたトラウマは根深かった。


2. 暗黒面に堕ち切らぬ喜劇

 トラウマに精神を蝕まれていたら、拷問を行った(らしい)人物を目前にしたら、復讐心を抑えられないのかもしれない。ただ、本当に拷問を行った執行官なの、核心を持てなかった事から始まる珍道中。怒りを共有する知り合いの輪が広がる事で分かる、拷問された人間の多さ。同時に感じるのが、「暗黒面」にオチきれぬ人間性。
 復讐はしたい。ただ、相手を拷問をし返す事で心は静まるのか? 否定すべき悪意に、支配されるだけではないのか? StarWarsで度々Jediに問いかけられる禅問答に似ている。LukeもReyもラスボスと相まみえた際に、相手を殺してやりたいという残忍な想いに支配されかかる。しかし、それこそが「暗黒面」への誘惑。Jediは倒すべき相手と戦う際にも、怒りにも殺意にも支配されてはいけない。もしそれらのネガティブな感情を制御しきれないと、VaderやRenのように、VaderやRenの様に「暗黒面」に行ったきりになり、倒すべきだった相手に逆に支配されてしまう。殺すべき敵に殺意を抱いちゃいけないなんて、もはや無理問答。

🖱️ネタバレ 本作のイラン市民も、仇の家族を窮地から救うし、決定的な復讐には至らない。やり場のない怒りは消えなくても、自分を「暗黒面」に落としきれない、イラン市民の良心が救いだった。

3. 映画的表現の不足

🖱️ネタバレ  印象的なラストシーンも、初見ではイマイチ伝わらなかった。近づく一本脚の足音に慄く後ろ姿と、暫くして遠ざかっていく足音に込めた監督の意図はインタビューを呼んで頷けたが、所見では遠ざかっていったようには聞こえなかったので、バットエンドを匂わす演出にも思えた。しかし、足音自体が主人公の癒えぬ恐怖心が聞かせた幻聴である可能性まで含めると、恐怖政治が国民に与えたトラウマの大きさを巧みに描けているのかも知れない。ただそうであるなら、足音が遠ざかっていくニュアンスを、初見でも明確に判るように表現してほしかった。
 また、登場人物が語った拷問の数々は空恐ろしいものばかりだったが、映像が武器の映画であるなら、幾つかの拷問は回想として再現した方が良かった気もする。ただ本作は、国からの撮影許可を取らずに秘密裏に撮影せざる得なかった事を考えると、赤羅様な拷問シーンの撮影に時間をかけるのにリスクがあったのかもしれない。それでも映画である以上、語り以外の表現で、拷問の深刻さを伝えた法が現実味がました気がする。