『君の名は。』昨年の9月頃に、観る機会がありました。
誤解ないように言っておくと、とても好きな作品です。
入れ替わり設定に、あるある感があるものの、2人が山の上で時空を越えて出会うまで、展開が予想できず、ドキドキしました。
風景描写の美しさ、音楽の格好良さと、タイミングのよい流れ方も、感心しました。
特に、転んだ三葉が、瀧が手のひらに書いたメッセージに、あきれつつも勇気を得て走り出すシーンがピークで、年甲斐もなくキュンキュンしました。
ただ、ラストの再会の演出が、個人的には残念でした。
時間かけすぎだし、泣かすのはベタでやり過ぎに感じました。
そう思った原因は、『天国から来たチャンピョン』にほぼ同じシチュエーションがあるのですが、言葉少ないもっとスマートな演出なのに、今でも記憶に残っているからです。
○新海誠は、自分にとってはポスト宮崎駿になってくれない
もちろん、新海誠が駿テイストの作品を作る義務も意義もないです。
むしろ、宮崎駿が作れなかったテイストの作品を、どんどん作ってほしい。
ただ、宮崎作品に感じる『見たことない』感が、『君の名は。』には驚くほどなかったのです。
新海さんと世代が近いせいか、観てきた作品や影響をうけた事象を共有しているからなのか、『君の名は。』は至る所に様々な作品との類型や相似が目に付くのです。
押井守が繰り返し主張するように、引用なしに映画は作れません。
宮崎駿も、鈴木敏夫にはコラージュの天才と言われています。
ナウシカ公開当時に発売されていた解説本には、宮崎駿の創作も、様々な社会背景や過去作が影響されていることが分かります。
ただ幸か不幸か、私は宮崎さんと世代だけでなく、読書の嗜好もずれいているようで、宮崎作品に他の作品の類型を見いださずにすむのです。
だから、新海さんより若い世代や、消費するエンターテインメントの嗜好がずれている層は、私が駿作品から得たの同じ感動を、新海作品から味わえるのだと思います。
繰り返される引退宣言は信用していないものの、宮崎駿の新作の登場にはかなり時間を要する現在、新海作品をリピート鑑賞できる人達が正直羨ましい限りです。