フィジーで食中毒になりました | 女医の国際精神保健

女医の国際精神保健

精神保健および公衆衛生を軸に、韓国、ロンドン、ジュネーブ、ニース、フィジー、赤道ギニア、東京、インド。
他にも、旅行、馬術、音楽、写真などについて記載しています。

フィジーで食中毒 になりました。(おそらくブドウ球菌)
皆同じもの食べて元気なのに、私だけダウン。
夜中、
「うえ~、気持ち悪いなあ。飲み過ぎたのかなあ?ちょっとだけだったのになあ」
と思いながらウトウト。
!!??
こりゃ、やばい!
で、トイレに駆け込み、上から下から。。。
(こういう「そこまで言わなくても良いよ~」なものは、TMI (too much information)と表現されますが。。)
再びベッドに戻り、そこからは、「気持ち悪いなあウトウトひえ~トイレ」の繰り返し。
嘔吐と下痢では、電解質と水分が失われます。
しかも、ちょっと熱っぽくなり、はーはー呼吸したので、過呼吸的に手とかしびれてきたりして。
臨床医の頭になります。。。
そして、何より心細い。。
夜が明けて、友人にお世話になりました。
ありがと~~
フィジーの食べ物は中々油っぽいので、お茶とリンゴ(ニュージーランド産)とgatoradeで回復食。

これまで、フィリピン、マケドニア、インドで食中毒になったことがあります。
経過中はこの上なく心細いのですが、過ぎてしまえば話のネタ。
そして、お世話になった人々に感謝。

フィリピンは友人を訪ねて ミンダナオ島へ行った時。
おそらく水が原因だったかな。
「フィリピン産の販売されてる水の8割は最近検査にひっかかるから、高くても世界的に有名なブランドの水を買いなさい」
と言われていたこともあって、水を飲むのも怖いし、脱水も怖いしで、パイナップルとか食べてたなあ。
大勢で移動中だったから、いろんな人に介抱して頂きました。
ありがと~

マケドニアは医学生キャンプで行った時。
パスタが原因だったかなあ。
英語を話せる友人が先に隣街へ移動しちゃった後で、マケドニア語とドイツ語が話せるご両親とそのどちらも話せない私が後発隊で移動する日でした。
立ち上がる力もなくて、明け方部屋の扉を開け放し、誰かが通るのを待ち、お父さんが通った時に合図に手を振りました。
お父さん、時計を指差し、「まだ朝早いから、もう少し寝てなさい」の合図。
違うのよ~~、助けて~~。
そこからお母さんが「食あたり対策マケドニア編」を展開してくれました。
ヨーグルトにビスケット(?)がつけてあるのが、日本でいうおかゆ。
お茶は匂いの強いハーブティ。
弱っている体には、ちょっときつい。
でも、飲まないと!脱水はもっと怖い。
どうにかこうにか隣町へ移動し、英語の通じる人々と合流。
そのお兄ちゃんは獣医さんで、「象の抗生剤が余ってるから、明日持って帰ってこようかねえ」
いろいろお世話になりました。
なんだか激しくはないものの気だるい感じが尾を引き、スロベニア経由でイタリア入りする飛行機と電車が辛かったなあ。
ミラノで待っててくれた友人が計画していてくれたことは半分に。
いろいろご迷惑おかけいたしました。

インドは学会後に友人宅へ少し遊びに行った時。
プネ。
参りまくっている私に、友人君が「日本ではこういう時に何食べるの?」
おかゆを作ってもらいました。
インド人的には全く味のしない食べ物、って感じのようで、何度も「これ入れる?あれは?」と香辛料をいろいろ勧められました。
ちなみに、彼の香辛料立てには20種類くらい香辛料があり、驚いてみてると、「驚くでしょ、少なすぎて」
逆です~
ムンバイに移動予定でしたが、体調不良と洪水で一日延期。
いやはやお世話になりました。

インド二回目は講習会で行った 時。
ゴア。
この時は本当に症状も派手で、友人も周囲に相談しまくりながら助けてくれました。
数日後にやっとホテルのラウンジでお茶が飲めるようになると、ホテル中の人に「大丈夫ですか?」
本当に文字通り「ホテル中の人」。
いろんな所でいろんな物を食べたし、私以外の皆は元気なので、どこの何が原因かは不明。
「ホテルの食事が原因でしたら、それなりの対処をいたします」と何度も言われましたが、特定できないし、お気持ちだけ受け取ることにしました。

本当に毎回助けてくれる人々がまわりにいて良かった。
海外で病気になるほど心細いことはないです。
幸い受診するほど病気になることはまだないですが、点滴とか受けることになると、「その医療行為は清潔?」などのいろんな心配も上乗せ。
医療費の支払いも煩雑になりうるし。

友人達に感謝!
健康第一!!