Fiji Museumへ行きました | 女医の国際精神保健

女医の国際精神保健

精神保健および公衆衛生を軸に、韓国、ロンドン、ジュネーブ、ニース、フィジー、赤道ギニア、東京、インド。
他にも、旅行、馬術、音楽、写真などについて記載しています。

フィジー博物館 へ行きました。
入場料5フィジードル(約250円)が現地割引で2.5ドル。
(差額は募金箱に募金しました)
じっくり見ても2時間くらいで一周できます。

公演の中にあります。

精神科女医のロンドン大学院、インターン、コンサル、JPO(WHO)


入ると漁に使われた大きな船が置いてあります。

精神科女医のロンドン大学院、インターン、コンサル、JPO(WHO)



生活品、装飾品、絵画、自然などの展示があります。
British American Tobacco Fiji の寄付による展示があり、私は眉をひそめます。

精神科女医のロンドン大学院、インターン、コンサル、JPO(WHO)

USP による学術発表もあります。

闘争も多かった歴史のようで、戦士の道具もたくさんあります。

精神科女医のロンドン大学院、インターン、コンサル、JPO(WHO)

美術館ショップでは、絵はがきを数枚購入しました。
他には、フィジーに関する書籍などもいろいろあり興味深かったです。

文字を持たなかったフィジー語。
一番最初に記録されたのは、1600年代にオランダが近くまで来た際の伝聞形式です。
周辺の国から「フィジーは人食い人種」と噂があり、列強はあえて上陸するのを避けていたようです。
イギリスの植民地貿易が始まると、一気に記録が増えます。
それまでのことは、考古学者の遺跡研究、言語学者の言語研究、地元の伝説の解析などなどから調査がなされています。
でも、それらの研究もイギリスやオーストラリアなどの研究者に頼っている部分は多く、その解釈はフィジー的価値から来ているのか、それ以外の集団から来ているのかは、疑問が残ります。
それでも、フィジーの歴史に触れたことのなかった私には興味深かったです。
資源(砂糖、サンダルウッド、クジラ)が豊かなフィジーの土地は、イギリスの支配対象となり、サーバントとしてインド人が連れて来られたり、中国人が開拓に来たりと人の移動が激しく行われます。
社会的強者と弱者の入り交じる社会は、不安定で、1900年代初頭には、インド人住民が平等の権限を求めてガンジーに弁護士派遣を要請したりもしています。
第一次大戦の開始と共に、列強がフィジーにかけられる圧力も弱まります。

自分たちが何者か、自分の国の歴史はどうあるか、をまとめるにも、学術的力、資金などが必要であることが実感される博物館でした。
フィジーがのびのび頑張れるような国で社会になれるためには、何が必要なのでしょうか?
周辺国ができることは何でしょうか?
フィジーが不利になるような取引を押し付けることだけは、せめて辞めることができないのでしょうか?

と、いろいろ考えながら外へ出ると、鼓笛隊の音。

精神科女医のロンドン大学院、インターン、コンサル、JPO(WHO)

軍隊の儀式が執り行われていました。

小腹もすいたし、

精神科女医のロンドン大学院、インターン、コンサル、JPO(WHO)

Holiday inn Suva のプールサイドで食事と読書☆

気分転換しながらも、博物館で考え込んだことが脳みその隅っこでモヤモヤしています。
どう解釈したら良いのでしょうか?
私に何ができるのでしょうか?
これはこれと受け入れる?自分も変わり、周囲も変わり、格差が是正された選択肢の多い社会をめざす?