このところ話題の事件をネットなどで目にしながら、
いろんなことを考えていました。
私たちって、失敗してはいけないと社会からいっぱい言われている感じがする。
そして、
みんな、失敗してしまって批判されることを恐れている。
でも、恐れているから、
誰かを非難したり、批判したりしたくなるのかもしれない。
失敗したこと、間違ったことに対して、
私たちは基本的に、
とても厳しすぎるんじゃないかな、と思う。
子どもたちは、
失敗したら、こんなにもひどいことになるんだ、と恐れてしまうかもしれない。
そしたら、挑戦することもできなくなるし、
間違いから学ぶことという素晴らしい体験も避けるようになるかもしれない。
実際、私たちの多くは、大人になっても失敗することを恐れている。
だから余計に、
「上の人に言われた通りにすればいい、それだけでいい」
となってしまうかもしれない。
責任とらなくてよくなるし。
そうやって、責任から逃れようともする。
やっぱり怖いから。
私は「正義」がなんなのかよくわからない。
ドラマセラピーの先生が、
「モンスター」扱いされていた、ある殺人犯の青年のためのセラピーをし、
彼自身がとても傷ついていた「私たちと同じ人間」だったのだと、
彼について説明したことがある。
だから罪を犯してしまった結果だけではなく、
そこに至る前の過程を考えると、
自分のことも、人のことも大切にできていない
私たちみんなにも責任があったりする。
何が悪いことなのか、
その一面だけ見れば、いくらでも批判できるかもしれないけれど、
その背景や、そこに至るまでの色々な側面を見ると、
単に批判をすることって、
できなくなるんじゃないかなーと。
私は、本当に失敗ばかりを繰り返してしまう人間だ。
先日旅行に行った先で、携帯を水につけてしまい、ドーンと落ち込んだ。
すぐに動けず4日間くらい全く連絡もできなくなったし、
写真も撮れなかったし。
その自分を責めていたけれど、結局新しい携帯にしたら、
ちょっと便利になった上に、ドコモで利用料チェックしたら、今までよりも安くできることもわかったし、
icloudやってたから、あんまり問題はなかった。
写真が撮れなかったことくらい、、、
だから、携帯がなくても、そこまで支障がなかったことに気づける体験だった。
他にも毎日色々失敗している。
自分も失敗するからこそ、
だから私も人の失敗を許せる人でいたいと思うし、
セカンドチャンスはいつだって何度だってあったっていいと思う。
だいたい、人のことなら、私たちはジャッジする権利もないし。
私も失敗を恐れてしまう弱さはあるけれど、
失敗しちゃう時は絶対ある。
神様が私にくれた試練かもしれない。
だから、失敗する勇気を持って、
失敗した人を許せる私になれますように。
今日もお読みくださりありがとうございました。
