娘が幼稚園に入ることになり、
その準備などで
何度か幼稚園に行くようになってから。
ある日娘がふと言った。
「なんで、みんな髪の毛が黒いの?
なんで私はブラウンなの?」
みんな違ってみんないい。
金子みすゞさんの詩のように、
私はそういう感覚を持っていたいから、
娘に
人と比べたりすることもしてこなかったし、
みんなと一緒がいいというようなことは
言ったこともないはず。
でも娘には
自分だけが何かが違うと感じてしまったようなの。
アメリカとかにいたら
髪の色なんてみんな違うから
そんな風に感じることもないんだろうけど、、、
娘は他にも誰かブラウンの髪の毛の人がいるかどうかを
知りたがった。
日本人は一般的には黒い髪の毛だけど、
大人になると
茶色の人は多いから、
○○ちゃんのママの髪の毛は茶色だよね?
と言ってみると、
「でもあれは、ペイントしたものだよね」
とのお返事。
小さいのによくわかってるわ。。。。
そう言いながら
なんだか半べそになってる娘。
なんだか自分が違う、という感覚が
彼女を寂しくさせているのかもしれない。
そのあとテレビを見ていたら
黒よりも薄く、少し茶色っぽい髪をした子どもが出てきて
娘は、
笑顔になって
「いた!いた!ブラウンの子いた!」
と安心していた。
自分だけではない、と思うとやっぱり嬉しいのね。
確かに
人と同じであることは
私たちを安心させるし、
共通点があることで仲良くなったりもする。
恋愛だってそうだし、
一緒にいて楽しい友達は同じものが好きだったりするものね。
知らない場面に行ったら
最初に話しかけたいと思う人は、
自分と同世代だったり、同性だったりするし。
ドラマセラピーの初期のエクササイズにも
共通点を探すものもある。
同じであることは
私たちを安心させてくれることなんだよね。
人間である以上、仲間がいなくては生きてはいけないし、
仲間を作ることが個人の精神的成長にもなっていくし。
その土台があって初めて
違いが大切にされるものなのかな。
日本で生まれ育って、
同じであろうとすること、
それを求められることをきつく感じていた、髪が天パの私は
違いを大切にすることばかりに意識がいっていた気がする。
でも、
当たり前だけど、
同じであることを大切にする必要って
あるんだなーと気づかされた。
とは言っても、娘の髪の場合は、違いを認めるものではあるんだけど。
でも一人じゃないと知り、
そうやって自分が仲間の一部だという感覚を育てることも
確かに重要よね。
娘がいく幼稚園の園長先生がおっしゃっていた。
「集団を怖いものと思わせないように、
集団をいいものだと思わせられるように保育をしていく」
そのためには、
子ども同士が相手を尊重し合うことがまだできないからこそ、
大人が子どもを尊重していく。
尊重され大切に扱われていなければ
人に優しくするなんてことはできるようにはならないから、と。
この幼稚園は
かなり自由に遊ばせてくれるのだけれど、
制服があるのが少し気になっていた。
親にとってはちょっとめんどくさいし、
制服にいいイメージがなかったから。
でも、クラスがあってもクラスごとに何かをする時間は
とても少なく、
基本は年齢も関係なく、学年も関係なく、
自由に好きなように遊ばせてくれる、遊び第一の園。
だからこそ、制服があるんじゃないかな、とも思うようになっていた。
制服という唯一の共通点が彼らを仲間にしていくのかな、と。
個を尊重しつつ、同じである部分も大切にしていく。
いいバランスよね。
娘がどんなふうに園で過ごすのかな、、、
入園式がもうすぐでちょっとさみしくなりながら、
娘の成長を楽しみにしたいと思います。
今日もお読みくださりありがとうございました!
