癒しとは、

その人の本来の性質に戻ること。

 

 

癒しって、

ほわーんとしたイメージがありそうだけど、

自分を見つめる作業を伴うので、

実はとっても能動的で厳しい面も持つ。

 

 

 

深い癒しは、

誰かにマッサージしてもらって、

気持ちよくなることなんかじゃない。

 

 

 

マッサージは私も好きだし、

それはそれでいいものではあるけれど、

本当の癒しは、

自分が主体的に動かなくては

手に入らない。

 

 

 

 

自分らしく生きるためには、

余計な思考をどんどん剥ぎ取るという

思考の断捨離が必要になってくる。

 

 

そのためには

「自分はどう感じるか?

自分はどう思うのか?」

がキーとなるんだけど、これが意外に難しい。

 

 

 

前にも書いたけれど、

私たちはみんな、エゴに埋もれているからね。

 

 

 

もう随分前のことだけど、

イギリスの大学にいた頃、

大学とは別に、ロンドンのアクティングスクールに

時々通っていたことがある。

 

 

そこには日本人の留学生が結構いて、

時々

日本の劇団からきている女優さんの卵のような人と

一緒にご飯を食べに行くことがあった。

 

 

 

彼女とご飯を食べに行くと、

いつも、メニューを独占するように自分の目の前に起き、

「私が選んであげるね、ここで有名な食べ物はこれよ」

と教えてくれた。

 

 

彼女がどうしても「有名なもの」を食べたがるため、

みんなでシェアするんだし、じゃあそうしましょうって感じになるので、

彼女のチョイスをオーダーしてばかり。

 

 

有名な食べ物もいいけど、私はメニューを見て

自分で食べたいものを選びたいんだけど??と言いたいのを

我慢していた。

 

 

 

よく聞いていると、
彼女の言っている有名なものは、
「彼女が聞いたことがあるもの」
でしかなくて、
私はだんだん、ちょっとうざったくなっていたことを覚えている。



こんな小さなどうでもいいことなんだけど、
でも
自分で選ぶことができずに、
誰かがいいと決めたものを受け入れるのは、
私には嫌な気持ちを起こさせることだった。

 

 

 

彼女が自分の体験から、

「これが美味しかったのよ!!」と教えてくれるのなら、

体験をシェアしてくれることになるけれど、

「有名なものはこれ」と教えてくるのは、

彼女が信じていることを押し付けることでしかない。

 

 

彼女はもしかしたら、

「いろんなことを知っているかっこいい人」

だと思われたかっただけかもしれない。

 

 

でも、この彼女のように、

私たちはいつの間にか、

こうやって

周りからの情報を受け取り、

それを自分のものだと勘違いしている。

 

 

 

 

私は、

子供のころから、5つ上の姉の

真似をして育った。

 

姉の考えが、私の考えとなり、

姉が言うことが、私の言葉になっていた。

それが自分だと思っていた。

 

 

 

何があったのか、あまり覚えていないのだけれど、

20歳くらいの時に、

「え!!私は姉とは違う考えを持ってもいいの?」

と気づき、びっくりしたことがあった。

 

 

それまで、

私は姉と同じ考えを持たなくてはいけないと

いつの間にか思い込んでいたような気がする。

 

 

とにかく、それまでの私は、
自分を持っているようで、どこか自分を見失っていたよう。


このことに気づけた時、
なんだか成長したような気持ちになったことを
今でも覚えている。
 

 

それは私にとっては、

とても自由な感覚だったけれど、

自分らしくなる過程は、

必ずしも

心地よいわけではない。

 

 

だから、私もセラピー三昧だった大学院時代は、

とても辛かった。

 

 

 

 

 

だって、今まで信じていたものを

否定された気持ちもするだろうし、

認めたくないことを認めなくてはいけないこともある。

 

 

 

もしかしたら、

親や社会と、対立する必要だって出てくるかもしれない。

 

 

 

自分が、どう感じ、どうしたいのかを

自分に聞いてみる。

自分といっぱい対話して、

自分を理解してあげる。

 

 

この過程が、私たちが本来の自分に戻るために必要。

 

 

 

エゴに埋もれた自分を取り戻すために、

自分が本当に願うものを
感じとる練習をしなくちゃね。



今日もお読みくださりありがとうございました!