こんなことを言われたことがある。
「あの本に出てくるワークを全てちゃんとこなしました。
でも、どうして私は結婚できないんですか?
結婚できるようにするために、
何をどうしたらいいのか、ちゃんと示してください。」
彼女の話を聞いていると、
彼女がどれほど、今まで頑張ってきたのかがよくわかった。
学校でもいい成績を取ってきたし、
両親が喜ぶいい大学にも進学した。
仕事だって、両親の勧めでいい会社に就職できた。
彼女は、本当に優等生だった。
でも、
結婚だけができない。
彼女は強く言った。
「私は、何が間違っていたんですか?
言われた通りに全部やっています!
確実に、結婚できる方法を、すぐに教えてください。
何をすればいいですか?」
うーん、全てのワークをちゃんとやってくれているのであれば、
いろんな自分の気持ちに気づけるはずなんだけど、
どうも、彼女から、そういう心の動きが見えてこない。
「どんな方とどんな結婚をしたいですか?」
と私が聞いてみると、
彼女はしばらく黙って、
こう言った。
「仕事が安定していて、いい人であれば、いいですよね?」
「え、ちょっと待ってね。
あなたは、どんな人と出会いたいの?
あなたがどう思っているのかを、もっと詳しく話せる?」
彼女はムッとした。
そして言った。
「どういう意味ですか?私がどう思うのかなんて、意味がわかりません。
そんなこと今まで考えたこともありません」
ワークの取り組み方はいろいろあるけれど、
いわゆる「いい子」な方にありがちな傾向としてあるのは、
「これが正解であろう」という答えを、自分の気持ちを全く見ずに
出してしまうこと。
そう、自分の気持ちよりも前に、
「正解」を探すのが得意なんだ。
だから彼女は、たくさんワークはしてくれたようだけれど、
自分の気持ちは全く見ていない。
そして
私が「あなたはどう思うのか」という質問をしてきたので、
居心地が悪くなってしまったのかもしれない。
正解はどうでもいい。
そもそも、自分らしく生きていくためには、
社会的に認められる「正解」よりも
自分の思いのほうが重要になってくる。
そもそも、結婚という、
お互いの気持ちがめちゃくちゃぶつかり合う、矛盾だらけなはずの場所で、
正解なんて探しても意味はない。
このケースは極端な話かもしれない。
でもすごく思うのは、
これって、
日本の教育の弊害だ、ということ。
私たちはみんな、
正解が何かを示すように教えられていない?
みんなと一緒であることがいかに大事かを教えられていない?
真っ先に思い出すのは、
とってもどうでもいい思い出なんだけど、
小3の時の、料理クラブのこと。
その日は、ちくわにきゅうりを詰め込んで、
カットしたものに、マヨネーズをかけるという、
果たしてこれは料理というのか?というものを作った。
小3ならこの程度でいいとも思ってるんだろうか。
キューピーばりの3分程度の「クッキング」のあと、
先生は、自分が作ったものをお皿に盛り付けて言った。
「みなさんも、好きなように盛り付けてください」
私は、残ったきゅうりを葉っぱのようにカットして、
お花のように盛りつけようと提案した。
すると私の班の子たちはすぐこう言った。
「先生がやったようにやらなくちゃ、ダメだよ!」
3対1で負けてしまい、私は
料理とは言えないこの一品を、渋々先生と同じように盛り付けた。
せめて、盛り付けだけでも楽しもうと思ったのに。
その時私が心の中で思っていたのは
「この子たちはバカなのか?好きなようにやってくださいって言ってたじゃん。
なんで先生のマネするわけ?」
キャンプの持ち物に、「レインコート」と書かれていたので、
近所のお店で、ピンクのレインコートを買って行った。
ところが
みんなは、購買で売っている黄色のレインコートを持って行ったため、
陰口を叩かれたことがある。
心の中では、
「え?たかがレインコートの色が違うだけで???」
と思っているのに、
いちいち悪口言われちゃうことで、
学校がどんどん嫌いになっていった。
私のこういうどうでもいい小さな違いは、
気づかないところで
どんどん増えていき
小学校高学年から、
仲間外れにされることもあったし、
意地悪をされたこともたくさんある。
私は気が強く、負けない子だったけれど、
でもそのうちに、集団が怖くなっていき、
どう振る舞っていいのかがわからなくなっていった。
私が人間関係をうまく持てなくなったのはこの頃から。
もっと前の過去にも色々あったと思うけれど、
「私は人から嫌われている」
と強く思うようになったのは、多分この時から。
なんだか長くなっちゃったけれど、
私が言いたいのは、
学校が、どれほど窮屈で、
人と違うことがやりにくい世界だったかということ。
もう少し成長してから、ずっと思っていた。
「疑問もなく、学校行ける人たちは、自分を持たずにすむ、おかしな人たちだ」
私は、同じような感覚を持っている人になかなか会えずに
寂しかった。
とにかく、学校では、
みんなと一緒であることや
たった一つの正解や、
模範的なルートを辿って生きていくことが、
すごく重要なことだと教え込まれていないかな?
これって、婚活の邪魔にならない?
この「婚活優等生」ほどではなくても、
婚活の中で、
少しでも「いい子」であろうとすること、
「みんなと同じ」であろうとすることは、
自分らしい結婚の邪魔になるはず。
これは
間違いなく、教育の弊害。
だって、結婚は、
社会的な正解ではなくて、
自分にとってのオンリーワンを探す場所。
学校教育で学ばされてしまったことが、
結婚そのものの意味の捉え方や、相手に求めるものなどに
いつの間にか影響していて、
自分の婚活の邪魔になっていないか?
ちょっと考えてみてもいいかもね。
今日もお読みくださりありがとうございました。
