離婚調停結審。 裁判官に初めて会う

 

 2022年5月某日、第5回目の調停が行われました。

 

 前もって裁判所と相手方代理人(弁護士)に送付していた資料の中に、私が不貞男に書いた手紙も入っていた為、私の仕事や家族に対する考え方などは理解して貰っていました。

 

 私が結婚前それなりのキャリアを持っていた女性だった事、

 出産後仕事をしていなかったのは

 働く事が嫌だったからではなく、

 転勤族の家族として数年で引っ越しを余儀なくされる事で責任ある仕事を任せて貰えなかったため、

 子育てを優先すべく専業主婦をしていた、と理解して貰えたと思います。

 

 

 さらに、不貞男の不貞の事実を知った時の妻としての苦しみや葛藤、

 別居による子どもへの精神的影響、

 不貞の相手の女が、子どもが父親にかけた電話を取った事、

 最後は不貞男が、私の悪口を面会交流の毎に子どもに伝えていた事など、

 不貞男から受けた私と子どもの精神的ダメージを説明する内容に、調停委員2人は何も言えませんでした。

 

 

 そのうえで、真実は当事者が知っている、と書いたことで、私の言い分が言いがかりではない、と印象付けることは出来たように感じました。(あくまで私の主観です

 

 第5回目の調停は滞りなく進み、次はひと月後結審すると言われて終了しました。

 

 

 

 

 ひと月後の6月下旬、最後の調停の日になりました。

 

 初めて家庭裁判所の裁判官が審議室にやって来ました。

 第一次離婚調停の時は不貞男の言い分は退けられ調停不成立だったので、裁判官に会う事はありませんでした。

 

 

 裁判官と書記官が椅子に着席し、審判書が裁判官によって読まれました。

 年金の分割、財産分与の額、子どもの卒業までの学費や生活費の毎月の送金額など細かい数字が朗読されていきました。

 

 裁判官がそれを読んでいる間、私とN弁護士は息を殺しながら、一言一言漏らさずに裁判官の顔を見ながら聞いていました。

 

 裁判官が慰謝料300万円と読み上げた時、私とN弁護士は思わず2人で顔を見合わせました。(N弁護士の作戦が成功した事を確認し合ったのです)

 

 そして裁判官の方を向くと私と目が一瞬合いました。

 私は、自分に一点の濁りも無い事を示すため、裁判官の顔をじっと見ていました。

 

 

 すると…裁判官が先に目を逸らしたのです。

 

 

 勝手な私の思い込みですが、離婚裁判を阻止し審判離婚にした事に裁判官が負い目を持っているような気がしました。

 それはつまり、裁判官が好んで出した結論ではない?という印象を私に抱かせました…。

 

(後でこのブログを書くために離婚裁判の事を調べた時、コロナ感染防止のため関係者が直接出廷せず、オンライン会議による代理人や申立人とのやりとり、及び電話代等の調停・裁判にかかる通信費等が、裁判所の財政を圧迫していたという記事を見つけました。

 

 それ以後、裁判官も早めの審議切り上げを急かされていたのかもしれない、と考えるようになりました)

 

 

 それから数分後、離婚調停は審判離婚という形で結審しました。

 第ニ次離婚調停が始まってから約1年、私が初めてN弁護士に会ってから11年近くが経過していました…。

 

 

 離婚審判調書は離婚裁判の判決のような法的拘束力と重みがあり、2週間以内に双方から異議が出されなければ、離婚成立となります。

 

 不貞男が異議を申し立てる訳もなく、私はその2週間じっと時間が過ぎるのを待っていました。 

 

 雨の週末何もする気になれず、離婚の事を考えると気持ちが不安定になりかけたので、友人に電話して食事を一緒にとったり、子どもに近況報告の電話を掛けたりして時間をつぶしました。

 

 

サレ妻復活日記43 に続く