『研ぎ師伊之助深川噺ができるまで 183』 | オーディオキネマ 研ぎ師伊之助深川噺

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~ライターのつぶやき~
「益々勉強中」



本日も、

空いた時間で、

江戸切絵図(古地図)を見ながら江戸を学んでおりました




現在、CSチャンネルで、

「池波散歩」という番組もやっていますね

そんな番組を見ながら、

色々と参考にしていると、

私も何となく切絵図の楽しみ方が分かってきたように感じています

作家、池波正太郎さんは、

切絵図を持って東京の街を散策しては、

小説の舞台を決めていたんでしょうね。

もちろん、その足は全国へ向かい、

そのリサーチの深さが、

あの数々の素晴らし作品を生み出していたんですね

やはり、足を使って調べなければいけないんですね~。




私も、

今年の冬には、

そんな江戸散策をしてみたいですね。

作品のシリーズ化を目指すには、

本物を目指すことが重要ですからね

さて、

それまでに、

一緒にあれこれ付き合ってくれる仲間が見つかるかどうか・・・・

はぁ~~~、

これが私の弱点なんですよねぇ




さて、

本日眺めていた切絵図は、

〈本所〉のものでした

本所といえば、深川の北側にある街になります。

現在の地図で説明すると、

本所の南には、両国駅や錦糸町駅がありますね。

東には隅田川、西には横十間川、北には北十間川が流れています。

隅田川と北十間川がぶつかる北側には、墨田区役所がありますね。

地図で見ていると、

縦横に歩いても、

3時間ほどで足りる気がしますね。

昔は、このくらいが一区画といった感覚だたんでしょうかね




今日、

私がこの本所の切絵図を手にしたのには、

ちょっとした訳がありました

この土地は、

私の作品、

『研ぎ師伊之助深川噺』に登場する、

男谷精一郎さんの生まれた土地でもあるからです

この方は、

幼くして養子に出されますが、

それでも住まいは本所だったようですね。

私は、

切絵図の中で、「男谷」という名前を探せるのではないか

とずっと気になっていたんですね




以前のブログにも書きましたが、

この切絵図が作られたのが、

1862年(文久2年)です。

男谷精一郎さんが亡くなられたのが、

1864年(元治元年)になります。

ギリギリ見つけられるかもしれません




さて、

コチラが本所の地図になります。

 



左の太いブルーが隅田川ですね。

そしてグリーンの田畑の間に縦に走っている細い川が横十間川ですね。

中央には法恩寺、本法寺。

中央右側には亀戸天神があります。

(寺社は赤色で塗られています。)

左下隅には、回向院があります。

その回向院の上には、真っ白い区画がありますね。

そこは、御竹蔵といって、

幕府の竹置き場でした

竹は、材木や石などと並んで、

建築資材として必要不可欠な品物でした。

だから、これだけの敷地を確保する必要があったんですね

今の国技館や江戸東京物館などは、

この跡地に作られたのではないでしょうか。




さて、

〈本所〉の説明はそのくらいにして、

男谷精一郎さんのお家について書かなくてはいけません。

ほとんど諦めの気持ちで探していたのですが、

(なんせ、すごい数の武家屋敷ですので・・・)

何と、

見つかったんです

養子に行ったという亀沢町を中心に探していたら、

ありました。

 

 

 



●(赤丸印)本多内蔵助屋敷の右側にあるのが見えるでしょうか

写真中央ですよ。

探せばあるもんですね。

こういったことが出来るのも、

江戸小説のファンが多い証拠なんでしょうね。

作品の舞台などを今でも切絵図で楽しめるんですから




ただ、

問題があります

敷地が小さいので、

最後の「郎」の一字が、

行書体というか草書体になっていますね。

私にこの一字を読むことは出来ませんので、

本当のところ、

ここが真、男谷先生のお屋敷がどうかはわからないままです




ただ、

可能性は高いですね

そして、

探して見つかったことに感動ですね

今でもこの辺りに行くと、

男谷性の方、ご子孫が住まっているかも知れませんね。

これも、

江戸散策の楽しみになりそうです。

しかし、

変質者と間違われることの無いよう、

やり過ぎないようにする必要がありますね




今でも、

江戸の面影を残す本所。

次回のブログでも、

もう少し書いていきますね。

それでは、また~




こういった記事に興味のない方・・・

ごめんなさいね


 

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