ギャンブル依存症の話2 | dragonzoのブログ

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今まで体験してきた不思議な現象を書こうかと。

競輪狂いの友人2人とよく競輪に行っていた。競輪はA級レースなど平場のレースは入場料無料だ。記念レースだと50円から100円の入場料を取られる。しかし、記念品で手ぬぐいや何かしらの品物をもらえるので、入場した直後にはお得感を感じていられる。だが、常連の2人に言わせると、これが10万円になったりするんだよと言う。最初は意味がわからなかったが、負けた分だけの金額の記念品となると言う意味だ。

最寄りの駅から遠い競輪場だと駅前から無料の送迎バスが出ている。競輪は基本、平日開催。平日の朝からバスに乗る連中はほとんど老人だ。我々のようなそこそこ歳のいった連中も若い部類だ。隣の老人から声をかけられた。若いのに朝から偉いね。この人から言わせると、平日の朝から競輪に行く若い奴は偉いのだと。偉いとか言われたことがないので戸惑うばかりだ。友人2人は、作家だったり、スポーツ新聞や競輪専門誌で、競輪のライターなどしているから、知識も半端なく賭け金が高額だ。バスを降りると、さっきの老人も友人2人も走って競輪場に消えていく。後は新聞握り締めてこちらの事など気にしていない。話しかけても何も答えずじっと新聞とオッズを見つめている。真剣なのだ。金がかかっているからね。作家の友人などは売れない頃に家賃が払えずなけなしの金でガチガチ本名に1点買いで全額突っ込んで家賃を払ったことがある。払い戻しの際、後ろに並んでいた親父にあんたよくそんな買い方できたなぁって言われたそうだ。

もう1人の友人は競馬をやっていた時期もあったらしく、もう家2軒位建てるだけの金使ったよと笑っていた。馬の気持ちはわからないが、人間の気持ちならわかるだろうと競輪を始めたらしい。今日はどの選手が必死で勝ちをとって帰りたいのかを予想するゲームだと言っていた。なんでそんなにのめり込むんだと聞いたら、予想を立てている時だけが嫌なことを全て忘れることができるからだと言っていた。

私は博才がないので、小銭しかかけたことがない。かけることよりも売店の食い物の方が気になっていた。最終レース近くになるとフライなどの惣菜が半額で投げ売りされる。その時に箱買いでネギって買い占める。

当時、呑み屋をやっていたので、それが本日のお通しと化けるのだ。帰り際に2人の友人は負けたようで、うなだれているが、私はニコニコ顔で、これで1箱1000円なら勝ったも同然だと笑っていた。当然、友人たちからはお前は何をしに来たんだと怒られた。

まだまだ面白い話はあるが、それはまた別の機会に。