市中引き回しの様子 最初にあるのが紙幟

 

今回はこういうお題でいきます。市中引き回しというのは、江戸時代の
刑罰の一種で、後ろ手に縛られた状態で、裸馬(鞍のない馬)に乗せられ、
刑場に行くまでの間、江戸市中を引き回されるのです。

これは一種の付加刑で、凶悪犯に対して行なわれました。もちろん
死罪であり、この後、斬首された後、首は獄門台にさらされました。
これには表の意味と、裏の意味がありました。

表のほうはもちろん、「悪事を犯すとこうなるのだ」という見せしめの
意味で、斬首の場面も公開であり、子どもも見物できましたし、
数万の見物人が押しかけるため、出店なども出たと言われます。

 

獄門の様子



では、裏の意味は何かというと、これから処刑される罪人にこの世への別れを

告げさせ、そこで見栄を切る機会を与えるというものです。見栄は、歌舞伎で

有名になった所作ですが、このときに罪人は辞世の句を詠んだり、

流行歌を歌ったりしました。

そうすることで、粋である、傾(かぶ)いている、大悪党であるという印象を

黒山の観衆に与えようとしたわけです。これは江戸の話ではないのですが、

全国で行なわれた悪人の最後の花道を見てみたいと思います。

例えば、これは鳥取城下での話ですが、明和7年(1770年)、女性2人を含む、

4人の盗賊が処刑されたのですが、そのうちの一人が、刑場に向かう途中で、

「都路みやこじ」という浄瑠璃節の一節をうなり、美声で見物人を驚嘆させた

という記録が残っています。

 

磔刑



また、これは江戸において、有名な盗賊、鬼坊主清吉が捕縛されて手下2人と

ともに小塚原刑場におもむく引き回しのとき、
「武蔵野に 色もはびこりし 鬼薊 けふ(きょう)の暑さに やがてしおるる」
という辞世の狂歌を詠んだとされています。

文化2年(1805年)のこととされます。これはおそらく、夏の暑い日だった

に違いありません。鬼薊(オニアザミ)は葉に棘のある雑草で、繁殖力が強いこと

で知られていますが、それと自分の鬼坊主というあだ名を

重ね合わせたのでしょう。

これを道々、朗々とうたいあげながら馬に乗っていったのでしょう。また、

このときの手下の詠んだ狂歌も残っていて、一人は、
「浄玻璃の 鏡にうつる 紙のぼり けふ(きょう)の噂は 天下一面」
というものでした。

 

鬼薊



紙幟(かみのぼり)というのは、引き回しの際に、馬の前に掲げられ、その人物の

罪状を書いた札のことです。また浄玻璃(じょうはり)の鏡というのは、地獄の

閻魔大王の裁判で、悪事を犯したときの様子を映し出してみせる

と言われる鏡ですね。

これらの罪人の処刑は、かわら版などで、江戸市中にくまなく広まったので、
そのときの様子が、天下一面の話題になるということを
言っているのだと思います。

もう一人の手下は、「死ぬときも 生まるるときも 紙幟 鍾馗はなくて
鬼の供する
」でした。鍾馗というのは中国由来の鍾馗様のことで、ときの皇帝の

病鬼を倒したとされる人物です。

 

鐘馗様



この他にも、死のまぎわに辞世の句を高らかに唱えたものの記録はたくさん

あります。一種の見せ場になっていたんです。これは、この当時の

盗賊の教養が高かったのか、

それとも、あらかじめ処刑のときがくるのを考えていて、誰かに歌をつくって

もらっていて、用意していたのか、そのあたりはよくわかりません。

いずれつかまることは知っていたのでしょう。

作者は別にいたと考えるほうが実際に合っているのかもしれません。ということで、

市中引き回しの様子が、なんとなく想像できたのではないでしょうか。

では、今回はこのへんで。