石崎氏は40代後半のサラリーマンである。営業職だが、もうすぐ
外回りから解放され、内勤に移りそうな年配だった。たしかに内勤は
楽である。ずっとエアコンの効いた社内にいて、夏の日差しも、冬の
凍てつきも関係がない。しかし、中間管理職になれば、それなりの
気苦労はついてくると思われる。それに外回りは、気分がのらないときは
ふらっとコーヒーショップに立ち寄れる気楽さがあった。内勤はずっと
パソコン画面とのにらめっこになるだろう。家族は・・・長年連れ添った
妻とは、最近はめっきり口をきくことは少なくなった。別にケンカなどを
しているわけではないのだが。長男は数年前に結婚して家を出ている。
季節社員で寮に住み込みだ。長女は高校2年だが、これも話をすることは
ほとんどない。というか、話をしてもあの子らの使う言葉がもうわからないのだ。
石崎氏は、駅前の立ち呑み屋で、中ジョッキの生ビールと酎ハイをひっかけた。
酔ったつもりはなかった。酒には強いほうだ。それに、家まで着くうちに
酔いは覚めるだろうと思った。彼は自宅までは駅の駐輪場に置いてある
自転車で帰る。去年まではバスだったのだが、不採算路線で廃止になって
しまったのだ。まあ、天気は晴れているし、ゆっくり戻るのも悪くはない。
時間的には20分ほどであった。彼は駐輪所で自転車のロックを外し、
またがってゆっくりと走り始めた。時間は10時を回っていて、人の出は
多くはない。駅前の繁華街は広くはなく、すぐに住宅地へと出た、
ほとんどの家には、まだ明かりがついていたが、通りを歩く人はいない。
家まであと5分というところ、広い児童公園の横の通りに入ったところで、
石崎氏はビーンという耳鳴りを感じた。それは彼がかつて経験したことがない
強いものだった。このままでは転ぶ。彼は自転車を停め、降りて、公園の
外周を囲む低い鉄柵に腰を掛けた。少し休めばもとに戻るだろう。しかし、
耳鳴りはますます強くなってきた。不安定な姿勢では前に倒れそうだ。
そのとき、彼の目に、児童公園内のベンチが飛び込んできた。ああ、あそこなら
横になれる。こんな時間に見ている人もいないし、不審に思われることも
ないだろう。なに、ちょっと酔っただけだ。ちょっと目をつむっていれば治るだろう。
そして、ベンチに横になった石崎氏はいつのまにか眠り込んでしまった。、・・・と、
どのくらいの時間が経っただろうか。ガヤガヤという人の声で目が覚めた。
半身を起こすと、耳鳴りはもうしなくなっていた。場所は同じ、夜の児童公園。
しかし、先ほどまでとは違ってたくさんの人がいる。60歳すぎに見える老人、
主婦、自分と同年代くらいの人もいる。石崎氏は恥ずかしくなって起き上がり、
近くの老人に、「どうしたんですか? 何かイベントでもあるんですか?」と
聞いた。すると老人は驚いたような顔で「あんた、何を言っていなさる。今夜は
ロケット発射の日だよ」 「え、まさか。そんな馬鹿な。こんなせまいところで。
ここはもう隣の町内だし、だいたいイベントをやるなら回覧板で通知がきている
はずだ」 「ほら」と老人が指さしたのはすべり台で、高さはせいぜい2m。しかし
そのてっぺんには小さな丸いトランポリンのようなものが乗っていて、ロケットの
姿はどこにもない。わけがわからない。それでも興味をひかれたので見ていると、
その前に、マイクをもった人と、サラリーマン風の人2人が出てきた。
サラリーマン風は、頭はハゲていたが、彼と同年輩に見えた。何が始まるんだろう?
マイクの人が、そのサラリーマン風の人の年齢と氏名を言った。彼より一つ
年上だった。マイクの人は、「〇〇さんは証券会社に勤続25年、
それで表彰も受けました。家族は奥様、そして子どもは男女一人ずつ」
ああ、まったく自分と同じだ。石崎氏は思った。「そして彼はついに、今夜
旅立ちの日を迎えます。ロケットに乗って、はるかな星の世界に行くのです。
さあ、〇〇さんから一言、みなさんにお別れの言葉を」それに応じて
サラリ―マン風は「頑張ります。見事に星になって、私をリストラした
会社のやつらを見返してやりますよ」こう力強く宣言して、ペコリと頭を下げた。
集まっていた観衆はいっせいに拍手し、あちこちから「頑張れよ!」
「さようなら~」という声が飛んだ。そしてサラリーマン風はゆっくりと
すべり台に登り、てっぺんのトランポリン台の上に立った。マイクの人は
置いてあったラジカセのスイッチを入れ、陽気な音楽が流れ出した。
サラリーマン風は2度、3度、台の上で軽く飛び上がり、
4度目にポーンと強く飛び上がった。そしてそのまま満天の星の中にまで
飛んでいってしまったのだ。ええ、まさか? その場の全員がまた、
一斉に拍手した。・・・そこで目が覚めた。
家に近い児童公園のベンチ、しかしあたりは
しんと静まり返り、あたりには誰もいない。なんだ、夢だったのか。
酔いはすっかり覚めていた。もう帰ろう。そう思って、さっき発射台だった
すべり台を見た。すると、上部の手すりにロープをかけて首を吊っている人がいた。
さっきのサラリーマン風だった。「ひええ!」彼は腰を抜かし、しかしすぐに
立ち上がり、鉄柵をおどり越えて自転車に飛び乗った。通報することも忘れ、
彼は一目散に自転車を漕いだ。家に逃げて帰りたかったのだ。しかし・・・
そこに、本当に安寧はあるのだろうか・・・星の世界が呼んではいないか?
