今となっては昔のこと。京都に住んでいた人が知人の家を訪れました。
馬から降りて門に入ろうとしたとき、ふと見ると、その門の向かいに、
閉め切って出入りする者のない古びた門があり、その門のもとに行商の女が
近くに売り物を入れた平たい桶を置いて横になっていました。
「何でこんな所に寝ているのか」と思い、近寄って見ると、
この女はすっかり酒に酔っぱらっているようでした。

このように見て、そのままその家へ入り、しばらくして出て来て
ふたたび馬に乗ろうとしました。そのとき、女が目を覚ましました。
見れば、女は目を覚ましたとたん、酔ったせいか嘔吐し、その売り物を入れた
桶の中にすべてかかりました。「ああ、汚い」と思って、さらに見ていると、
その桶の中の鮨ずしに吐いてしまったのでした。
女は、「しまった」と思って、あわてて手でその吐き出したものを鮨ずしに
混ぜあわせました。これを見るや、汚いとも何ともあきれはててしまいました。

 



嫌悪のあまり胸がむかついてきて、急いで馬に乗り、その場から逃げ去りました。
これを思うに、鮨ずしというのは、もともと吐瀉物と一見似たところがあるから、
何も知らぬ人が見たら、女が吐瀉物を混ぜたものとは気づかないでしょう。
女は、きっとその鮨ずしを売ったでしょうから、買った人は食べないという
ことはなく、おそらく食べたのでしょう。しかし、これを見た人は、

それ以来まったく鮨ずしを食べなくなりました。

 

そのような行商の鮨ずしを食べないのはわかるとしても、自分の家で

確かに作らせたものでさえ食べませんでした。そればかりでなく、

知人という知人にもこのことを語って、「鮨ずしだけは食べないように」と、

買うのもやめさせました。また食事をしている場所でも、鮨ずしを見ると、

気でも狂ったようにつばを吐き、立ち上がって逃げ出しました。

 



このように、店頭で売っているものも、行商女が売るものも、実にきたないもので
あります。人々は、こういう社会なのだから、少しでも経済的にゆとりがある人は、
何であれ、目の前で確かに調理させたものを食べるべきである、と
こう語り伝えているということです。
(現代語訳 bigbossman)

 

これはオカルトではありませんが、じつに嫌な話です。しかし平安時代の衛生観念なんてこのようなものだったのでしょう。『今昔物語』にはこの類の話も収録されています。ただ、一言つけくわえておくと、貴族や武士とは違って、

庶民は生きるのに必死であったわけです。