今回はこういうお題でいきます。さて、どっちから話しましょうか。まず怪異
からにしましょう。「置いてけ堀」と呼ばれる場所は各地にあるのですが、
江戸本所のものが有名ですね。
本所は新興住宅地であり、武家屋敷が多かった。「忠臣蔵」の芝居で有名な
吉良邸も本所にあったことになっています。場所替えで移されたんですね。
で、塀を回した大きな屋敷が多かった。
置いてけ堀とされる場所は、横十間川という川に続く錦糸堀という小さな
堀割だったそうですが、そこでは魚がよく釣れた。おそらく小鮒などでしょう。
ちなみにこの時代、趣味で釣りをする人はほとんどおらず、夕飯のおかずに
するために釣りをしていました。

川魚は寄生虫もいるでしょうが、煮てしまえば問題はない。それにこのころは
農薬も流れ込んでいないので、鮒以外の小魚も豊富にいました。
そして、さて大量と帰ろうとすると、
堀のほうから、「置いてけ~、置いてけ~」という声がします。ここで置いて
帰ると大きな問題はないが、そうでない場合、「いつの間にか魚籠の中の魚が
なくなっている」 「帰りにのっぺらぼうに出会う」
「堀の中に引きずり込まれてしまう」などの怪異が起こるとされました。
ただし、あくまでも噂だけで、被害にあった人が文章で書き残したりしている
わけではありません。ちなみに、現在の置いてけぼりにされる」の語源は
この話からであるというのが有力とされています。それだけ有名な話だったんです。

さて、この話の出た原因として、河童説、狸説、水死人の亡霊説などがあります。
当時は、葬式代のない貧しい庶民は、死体を堀に投げ込むなどの
ことはよくあったと言われます。また、「お富さん」の歌詞に出てくるように、
リンチで川に放り込まれることもありました。
「お魚博士」として知られる水産学者の末広恭雄氏は、科学的な面から考察し、
淡水魚のギバチが体表のトゲで大きな音を出し、実際にその音を化物と思って
驚いた人がいたことから、置行堀の怪異があった時代には
そうした堀にもギバチがいたものと推測し、魚が盗まれるのは野良猫の
仕業の可能性が強いと述べています。しかし、もう一つ、重要な説があるんです。
それは旗本屋敷の存在です。

ずらりと並んだ旗本屋敷を通りかかる人は、無理やりに博打に連れ込まれる。
といっても、畳の敷かれた座敷ではなく、中間部屋と呼ばれる
屋敷の中の長屋です。そこでは中間などの小者が暮らしている。
ここでの博打の多くはイカサマで、負けたものは身ぐるみはがれて放り出される。
このことから、置いてけ堀の名前がついた。まあ、ありえない話ではありません。
当時の旗本はひじょうに困窮しており、
旗本自らが承知の上で、中間、あるいは博徒などを使って博打をやらせ、テラ銭を
取っていたとも考えられるんですね。武家屋敷や寺は町奉行所の
管轄ではないので、踏み込まれることはない。

いちおう、テレビの鬼平で知られる火付盗賊改めは踏み込むことはできましたが、
そこまで重犯罪でない博打は見逃されることも多かったんです。
このことがいわれとなって、置いてけの名前がついた。
ちなみに、鬼平や遠山の金さんなどが旗本ですが、石高は1万石未満から200石
までピンキリでした、ただし、どの石高の旗本も貧しかった。食事などは
庶民とそう変わりないものであったそうです。
将軍にお目見えできるのが旗本ですが、それは登城の義務があるということです。
このときには最低でも草履取りと槍持ちが必要。しかしそれ以外にも、石高に応じた
幕府の軍役規定により、一定の人馬と武器を負担しなければなりませんでした。
ということで、暮らしはかなりたいへんだったんです。では、このへんで。

