今回はこういうお題でいきます。これは怪談論に入りますね。
まず重要なのは、登場人物が「怪異に遭遇する時間がある」ということです。
これが最大の基本と言ってもいいでしょう。

たとえば、医師や教師は忙しいですよね。分刻みで動いている。つまり、
怪異に遭遇するのは、ほぼ病院や学校の中にかぎられるわけです。
そういう怪談も  もちろんありますが、なかなか書くのは難しいんです。

専門的な知識が必要です。病院で医師がふつうやらないことをやらせてしまうと、

「ああ、この人は医療現場をよく知らないで創作してる」と
思われてしまいます。それだと興ざめになる。

 



ですから、登場人物で最も無難なのが、部活の先輩、競輪の仲間、友人の
彼女などなんです。自分がよく話で使うのが「大学のオカルト研究会の仲間」です。

これだと、大学生はそもそも時間がありますし、オカルト研究会で
あれば、自然に会話はその方面になる。みなで心霊スポットなどに
行くこともあるでしょう。不自然さがないんですね。

この、自由に使える時間があるということは重要で、プロの作品でもそうですし、
ミステリなどでもそうです。たとえば、横溝正史作品では金田一耕助が
主人公ですが、彼は風来坊で定職についていないので、事件が起きた
場所にいつまでも滞在することができます、不自然にならない。

内田康夫の名探偵、浅見光彦もそうです。彼はフリーのルポライターなので、
全国で事件に遭遇することができるし、毎日出勤するわけでもないので、
事件が解決するまで現場にいられるんですね、

 



次に重要なのは「語り手は死んではならない」ということです。明らかな
創作ならばともかく、実話怪談であるならば、語り手が死んでしまうと
その話をする人がいなくなってしまいます。

ですからまあ、一種の安心感があるわけです。ただし、「俺、もしかしたら
呪われたのかもしれない」などと、読者を不安にさせる部分を
入れておくのもいいでしょう。

次は、短編怪談の場合「登場人物は3人程度にする」ということです。
これが多いと、誰に注目すればいいかわからなくなって、読者が散漫になり、
怪異に集中することができなくなります。

 



よくネットでは「心霊スポットにA、B、C、D、Eの5人で行った」などと
書く人がいますが、これだと読者が誰に焦点をしぼって読めばいいか
わからなくなります。しかも、2人ぐらいはほとんど出番がないんです。
やはり3人くらいがちょうどいい。

「会話は複雑にしない」これも大切ですね。そもそも会話の内容をそんなに
はっきり覚えているわけはないですし、ボロが出やすくなります。ですから、
「彼はこう言っていた」とか「こういうふうに話がまとまった」程度でいいんです。

「人間関係を濃密にしない」これはわかりますでしょうか。怪談は娯楽であり、
なにも文学作品を書いているわけではないので、あまり強い感情の
やりとりは必要ないわけです。

 



「語り手が怪異について説明してはいけない」実話怪談の語り手というのは
自分が見えていることしかわかりません。つまり、謎が残ってしまう。
それはそれでいいんですね。読者が勝手に「こういうことじゃないかしら」
と考察してくれます。それもまた怪談の楽しみ方のひとつなんです。

あとはそうですね。これは登場人物論とは言えないんですが、短い話でも

「一度くらいは場面転換を入れたほうがいい」と思います。ある場所で話が

終わるのではなく、「部屋に戻って落ち着いてから、あれは何だっただろう

と考えた」このような感じ。

一本調子になることを避け、起きたことをふりかえる場面が必要。と、あれこれ

書いてきましたが、このように書いていけば、だいたいそれなりの

怪談になると思います。では、今回はこのへんで。