後白河法皇

 

今回はこういうお題でいきます。狐や狸、ムジナなどは人間を化かすもの
とされてきました。このことは平安時代の文献にも出てきますので、
かなり古くから信じられていたのは間違いありません。

しかし、どこまで信じられていたかというと、自分には疑問があるんですね。
近世、江戸時代ころになると、農村部はともかく、都市部においては、
あまり信じられなくなり、むしろ風刺のために言われることが
多かったのではないかと思います。

どういうことかは、おいおい説明していきます。まず狸ですが、これは
博徒・やくざ者を風刺するために使われた。「四国狸合戦」という話が
あります。金長という狸が、人間に受けた恩を返そうとして
他の狸たちと戦う話なんですが、

 

四国狸合戦 狸は博徒の風刺



これが当時の博徒の出入り(ケンカ)とそっくりなんですね。そもそも
金長という名前が、やくざ者のような雰囲気です。そして浪曲の
「国定忠治」や「天保水滸伝」、「清水次郎長伝」のような戦いがくり広げられる。

この絵も残っていますが、狸は太っていて貫禄があり、まるでやくざ者の
親分のようなたたずまいなんですね。これは自分の考えすぎ
ではないと思います、話のつくりがあまりにそっくり。

次に天狗をみてみましょう。これは源平時代ですが、後白河法皇は
「日本一の大天狗」と呼ばれました。源平の戦乱や院政の中で幽閉・脱出を
くり返しながらも、平清盛や源頼朝、源義経などの武士たちを

 

天狗は僧侶・修験者の風刺



巧みに操り、政治的に優位を保ちました。この策略的な権力行使や老獪さから
そのように呼ばれていたわけです。また、山伏などの山岳修験者は尊大で
麓におりてくると威張り散らしたことから、鼻の高い天狗と称されました。

有名な天狗には、愛宕山の「太郎坊」、秋葉山の「三尺坊」、鞍馬山の「僧正坊」、
比良山の「次郎坊」の他、比叡山の「法性坊」、英彦山の「豊前坊」、
筑波山の「法印坊」、大山の「伯耆坊」などがいますが、

これらは僧侶、あるいは山岳修験者の風刺として機能していた面もあると
思います。その権威をかさにきる様子や、修験の力へのおそれから
天狗になぞらえられていた。

 

狐は遊女の風刺



最後に狐ですが、これには神獣としての狐と、人を化かす妖獣としての狐の
2通りの性格があります。神獣としては、もちろんお稲荷さんの狐ですね。

穀物の豊作をもたらす精霊。そして妖獣としての狐は、遊女の風刺になっていた。

「歩き巫女」という存在がありました。神道系と称しながらも、特定の
神社には属さず、全国各地を遍歴し祈祷・託宣・勧進などを

行うことによって生計を立てていました。

旅芸人や遊女を兼ねていた歩き巫女も存在し、そのため、遊女の別名である
白湯文字、旅女郎という呼称でも表現されます。これらを風刺して
狐と言っていた側面があるかと思います。

 



狐に化かされた話では、狐は若い女性に化けることがほとんどですよね。
そうして男性を化かす。男に化けた狐の話はあまり聞いたことが
ありません。戦国時代にはまた、

戦場を回って戦死者を処理し、弔う仏教系の尼などもいて、これらの像が

総合して狐として風刺されていたのではないかと思います、ややこ踊りの
出雲の阿国などもそうですね。

ということで、妖怪はたんに怖がられる存在というだけではなく、世相の
風刺としても機能していたのではないかというのが自分の考えです。ただ、
このあたりのことはあまり民俗学などでは言われることはないですね。
では、今回はこのへんで。