今回はこういうお題でいきます。画家のエドヴァルド・ムンク(Edvard Munch )
は、 1863年生、 1944年没の19世紀 - 20世紀のノルウェー出身の
画家です。ノルウェーのロイテンで医師の父のもとに生まれ、

まもなく首都クリスチャニア(現オスロ)に移ります。1868年に母が
病気で亡くなり、1877年には姉が亡くなるという不幸に見舞われ、
後の絵画作品に影響を与えていると言われます。

実際、死や病気をテーマにした作品は多いですね。そして代表作は『叫び』です。
橋の上で、髪の毛のない人物が両手で顔を覆うようにし、口をひし形にして
います。上半身だけで、下半身は画面から切れていて見えません。

 

ムンク 自画像



暗い背景は、血のように赤く染まったフィヨルドの夕焼けと不気味な崖の形。
なんとも異様な構図です。ちなみに、この人物が「叫び声」を上げているのでは

なく、「自然を貫く果てしない叫び」に怖れおののいて耳を塞いでいる姿を
描いたものというのが一般的な解釈です。これは意外ですね。

発表年は、1893年と世紀末。ムンクは同年にクレヨン、1895年に

パステル、1895年にリトグラフ、1910年にテンペラ・油彩で同じ題名、
同じ構図による作品を描いており、全5点の『叫び』が存在しています。

で、今回、述べたいのは、これはもしかしたら、日本の特産輸出品であった
人魚のミイラを参考にしているのではないかということです。ただたんに
形が似ているからと言うわけではないですし、必ずそうだと
断定するつもりもありません。

 

人魚のミイラ ムンク型



ちなみに、人魚のミイラというのは、江戸末期から明治時代にかけて、多数が
ヨーロッパに輸出されています。買い取った先は、個人もありましたが、
博物館などが多かったと考えられます。お客を呼べる収集品だったんです。

ミイラの多くは、上半身は猿、下半身は鯉か鮭、それぞれ別の剥製を
専門の職人が組み合わせたものです。ですから、レントゲンを撮れば、

内部は生物の骨格とはかけ離れています。

特に明治初頭、廃仏毀釈の影響があり、日本のお寺に収蔵されていた品が
ヨーロッパに流出することが多かった。しかも、当時のヨーロッパは
ジャポニズムの最中でした。印象派の画家が浮世絵を模写していますね。
それと同じような感覚で、ムンクはミイラを模写したのではないか?

 



まあ、絶対そうだと断言するつもりはありません。自分のおもな論点は、
・ ムンクは死や病気というテーマに強い関心があったこと。
・ 当時のヨーロッパ、とくに画家の間ではジャポニズムがあったこと。


・ 叫びの手の形が、人魚のミイラの手の形に酷似していること。
ちなみに人魚のミイラの手がああなっているのは、破損を防ぐために
顔の周辺に手をまとめて、中に針金などの支柱を入れているためです。

手を伸ばした形だと折れやすいので、できなかったんです。

・ 叫びにはいくつかの習作があり、これは実物を前にしてスケッチした
 可能性があること。

・ 叫びの人物は上半身だけであり、下半身は描かれていないが、これは
 ムンクが絵を人魚のイメージに限定したくなかった可能性があること。

 



・ ムンクとその仲間は、絵の勉強のために博物館に出入りしていたこと。
そこで人魚のミイラを目撃し、大きなインパクトを受けた可能性があります。
・ アンデルセンの童話『人魚姫』は、叫びの約50年前に書かれており、
 当然ムンクも知っていた
と思います。海の国ノルウエーでは、

歴史的にも人魚には関心があった。

これらの理由から、ムンクが叫びの制作に、日本の人魚のミイラを参考にした
可能性はけっこうあるのではないかと考えます。違うでしょうか?
ちなみに、叫びには「ペルー産ミイラ参考説」があります。しかし自分が
見比べたかぎりでは、人間のミイラよりも人魚ミイラに近い感じがします。
まあ、だいたいこんなところですね。

それにしても、この絵、現在は数十億円もするんですね。すごいですね。
構図やタッチは子どものいたずら描きのような感じもしますが、やはり
絵から受けるインパクトは絶大で、その価値はあるのかもしれません。
では、今回はこのへんで。