今回はこういうお題でいきます。取り上げる妖怪は襟立衣(えりたてごろも)。
まずは絵をご覧ください。畳の上に衣を来た人物が座っています。
襟が前面に垂れてきており、その顔を覆い隠しています。
そして背後には松を描いた屏風。さて、これは何でしょうか?

石燕の絵は、文人仲間への「謎掛け」になっています。つまりクイズですね。
では、答えは何でしょうか。それを考える前に、まずは詞書きを見てみましょう。
「彦山の豊前坊、白峯の相模坊、大山の伯耆坊、いづなの三郎、冨士太郎、
その外、木の葉天狗まで、羽団扇の風にしたがひなびく、くらまの山の僧正坊の
えり立衣なるべしと、夢心におもひぬ」

最後に「夢心に思いぬ」とあるのは、どこかに伝承がある妖怪ではなく、
石燕の創作妖怪ということです。「英彦山の豊前坊、白山の相模坊、大山の
伯耆坊」というのは、全国の有名な天狗の名前です。

 

分厚い畳に座る天智天皇



では、ここに座っているのは天狗なんでしょうか? それはそうなんですが、
自分は特定の個人を表していると考えます。詞書きでは、「くらま山の
僧正坊」という文言が大きなヒントになります。

まず、自分がこの絵を見て、最初に注目したのは、座っている畳の厚さです。
江戸時代の畳はこのように厚くはありませんでした。では、何かというと
平安時代の畳だと考えます。

みなさんは百人一首をやられるでしょうか?  自分は少しやります。あの
絵札で、それぞれの人物の地位が、畳の厚さで表されていることに
お気づきでしょうか?  とくに天皇や上皇の場合、最も厚い畳になっている。

石燕もこのことは知っていたでしょう。

 

烏天狗



とすれば、この絵の人物は、厚い畳に座る天皇か上皇、出家姿なので
おそらく上皇でしょう。とすると当てはまる人物は一人だけ。
そう、後白河法皇ですね。

後白河法皇は、別名「日本一の大天狗」と呼ばれ、そのことはいろいろな
文献に残っています。強固な院政をしき、健忘術策をめぐらした。
都入りした木曽義仲に平家追討の院宣を出し、

さらに、傍若無人な木曽義仲を排除し、頼朝に義経追討の宣も出します。
このように、武士同士を互いに戦わせて、その勢力を削ごうと
図ったんです。これをもって天狗のようだと評された。

 

鞍馬山で修行する義経



さて、この絵にはいろいろなヒントが入っています。まずは前述した
畳の厚さ。そして僧衣、この僧衣も烏天狗の尾羽根のように裾が広がり、
襟は顔を隠してクチバシのように尖っています。

おそらく烏天狗か、それに類する猛禽類を重ねているんでしょう。
次に詞書き、有名な天狗の名前とともに、「くらま山」という言葉が
出てきますね。これ、義経の暗示だと思います。

義経には、幼少期に鞍馬山で育ち、天狗から剣術を教わったという
伝説があります。そのこともヒントとして取り入れたのでしょう。
と、ここまでの考察から、この絵の謎掛けの解答は、

 

後白河法皇



後白河法皇その人だと思います。まず間違いではないでしょう。この絵は
比較的わかりやすく、容易に解けた仲間も多かったのでは
ないかと思います。

ちなみに後白河法皇は、今様(いまよう)と呼ばれる当時の流行歌を
好み、『梁塵秘抄』(りょうじんひしょう)という歌集を
まとめています。文化的にも大きな功績を残した人でした。

ということで、今回は簡単でしたね。石燕はこれ以外にも、菅原道真など、
歴史上の人物を妖怪に仮託して取り上げています。
では、今回はこのへんで。