今からするのは、俺が子どもの頃にほんとうに体験した話だよ。
もう40年ほど前のことだな。当時、俺は海辺の地域に住んでたんだが、
そこは漁師町じゃなかった。というもの、海はゴツゴツした岩浜で、
船は湾に入ることはできなかったんだよ。すぐに船底をこすったり、
座礁したりしてしまう。ただ、遠洋漁業の船に乗る人はいた。俺の家は
母親と祖母は地元の出身だが、父は海辺の出身じゃなかった。
銀行員で、うちには入婿の形で入ったんだよ。で、その当時、俺は小学校の
4年で、毎朝、浜に出るのを日課にしていた。何をしていたかというと、
外国の丸いガラスブイが流れ着いてないか見てたんだよ。そうだな、
直径15cmくらいの青いガラス製で、今でも海をテーマにしたカフェの
店内に飾っているところもあるな。ブイの下の方には、朝鮮語やロシア語が

書かれているものもあった。で、その日は曇天で、俺が岩の上を飛び
移るように歩いてると、岩に囲まれた海の中に、人がいるのを見つけた。
もちろん、まったく動かなかったから死んだ人だ。うわ、溺死者だと思った。
怖くてはっきりと見たわけじゃないが、体の半分以上が海の中にあって、
うつ伏せの背中と後頭部だけが水の上に出てた。上半身は白いワイシャツの
ようなものを着ていたが、それがほとんどはだけて、真っ白な背中が見えていた。
それと、後頭部はパックリと割れ、しかし血などは海水に洗われて、
無気味な傷跡になってたんだ。どうしよう、子どもながらに考えて、まず
駐在所に駆け込もうと思った。駐在所は堤防を越えた道路沿いの比較的
近くにあった。そこで走って岩場から出ようとしたら、その死体の足元に
黒いものが渦巻いてた。最初は海藻がからんでるんだと思ったが、

その黒いものは動いて、その下に顔が見えた。女だと思った。女が海中
3mくらいのところにいて、しっかり水死体の片足をつかんでいる。
女は全体的に青白く、髪は長い。うわわ、これは何だ。その女は上を見上げて
ニヤリと笑みを浮かべたように見えた。まあ、深いところにいたんで、
波でそう見えただけかもしれないが。俺はダッシュでその場を離れ、駐在所に
向かった。警官はもう起きていたが、制服はまだ着てなかった。俺は
詳しいことは説明せず「水死体だ」とだけ言った。そして手を引くようにして
駐在をさっきの岩場に連れて行った。そしたら水死体はまだそこにあったが、
女は海の中にいるのかどうかよくわからなかった。駐在は派出所に戻り、
無線で応援を呼んだ。そしてその水死体は引き上げられたが、男一人だけだった。
俺は第一発見者として、詳しい事情を聞かれたが、海の中で女を見た

という話は、どうも信用されなかったようだ。まあ、それも無理のない話で、
女が海中にいて、俺を見て笑ったなんていう話は信じられなくて当然だ。
その後に聞いた話では。その水死体は30代のサラリーマンで、会社の金の
使い込みがバレて失踪していたらしい。その海岸の近くの岬の突端で、
そのサラリーマンのものらしいバッグが置かれているのが見つかり、その中には
遺書らしいものがあったそうだ。だから、その岬から下の岩場に向かって
飛び降り自殺をし、岩に頭を打って即死したのだろうということになった。
つまり事件性はなし。覚悟の自殺。ということで、俺はパトカーで送られて
家に戻り、親に事情を聞かれた。で、俺はあったことをすべて話したんだよ。
海中で女が死体の足を引っ張っていたと言うと、その瞬間、母親は顔色を変え、
傍で聞いていたばあちゃんは「うむむう」という声を出した。

父親はまだ仕事中で、聞いたのは俺の母親とばあちゃんだったが、2人とも
俺の話を疑ってはいないようだった。今度はばあちゃんが主になって、その
海中にいた女の様子を根掘り葉掘り聞き、一言「水妖だ」と言った。
それからどうなったかというと、母親とばあちゃんがつきそって、しょうない様
という祠に連れて行かれた。これは海岸にある、鳥居も何もない小さい祠で、
扉は開いており、中には燭台、供物皿、それから40cmくらいの青錆びた
像があった。像は仏像ではなく、なんともわからないものだった。
これも後でばあちゃんから、明治時代に海から引き上げられたものであることを
聞いた。おそらくその当時、船の中で祀られていたものが、その船が
沈むなどして、海に落ちたのだろうということだった。俺はその祠の前で、
母親に無理やり頭を押さえつけられ、3人で小一時間ほども拝んだんだよ。

その後、ばあちゃんは「これでええと思うが、念には念を入れんと」と言い、
その祠の奥の海からコップに水を汲んだ。年寄りで足元がおぼつかず、
海へ落ちるんじゃないかとはらはらした。それから家に戻り、ばあちゃんに
「今日は寝るまでずっと、部屋にこもっておれ、そしてときどきコップの中を
のぞけ」こう言われたんだよ。「のぞけって、どうなるの?」俺が聞くと、
ばあちゃんは、「何か変わったものが見えたら知らせにこい」と言った。
さらにつけ加えて「とうぶん浜には出るな」とも。俺は口をとがらせ、
「とうぶんっていつまでだよ」そう言ったら、ばあちゃんは少し考えて、

「そうだなあ、夏が過ぎるまでだな。うん、お盆をこえるまでだ」と。

それだと3ヶ月以上ある。俺はブイ集めができなくなって不服だったが、

普段はやさしいばあちゃんの口調には、有無を言わせないものがあった。

その日、学校は休んでいたので、俺は暇だった。しかし家からは出ることが
できない。そこで、以前買った映画のDVDなんかを見て過ごした。ばあちゃんに
言われたコップの海水の中はときどき、1時間おきくらいにのぞいたが、
なんの変哲もない濁った海水だった。そして夜になり、親父が戻ってきた。
親父にも今日の話をしたが、親父はこの地域外から婿入した人なので、
祠のことはわからない。それで俺が水死体を発見したという話だけになったが、
親父は俺の頭をなでて「それは大変だったなあ。でもお手柄だ。あとでお前、
警察から表彰されるかもしれんぞ」と言った。そして俺は晩飯を終えて
部屋に戻り、時間は10時頃になった。もうそろそろ寝よう。そう思って、
最後にと、机の上に置いていたコップをのぞき込んだ。と、そのとき、
どうしたことか部屋の電気がすべて消えた。ブレーカーが落ちたのか?

当時はそういうことはよくあった。そう思っていると、のぞいているコップの
水も真っ黒になり、その中に女の顔があった。その顔はにやりと笑い、
それは朝に岩場で見た女の顔だと思った。近くで見たわけだが、小さくて
目鼻立ちははっきりしなかった。「うわわわあ!」俺はあわてて部屋を
飛び出し、階段を降りて居間に駆け込んだ。両親もばあちゃんもまだ起きていて、
テレビの前にいた。俺は驚き慌てた口調で「コップの中にあのお女がいた!」
と叫んだ。父親は何のことかわからない様子だったが、母親とばあちゃんは
顔色を変え、ばあちゃんは「しょうない様に拝んでもダメだったんじゃな。
このままではお前、水妖に引かれてしまうぞ」と言い、その場で母親とともに
父親を説得し、おれはそれから1年の間、都会に住む親戚の家に預けられる

ことになったんだよ。父親はわけがわからないようで、目を白黒させていたな。

 

学校も転校した。ああ、それから、警察には表彰されたが、
それは俺が転校してからのことで、そのときだけ浜辺の街に戻ってきたんだよ。
都会の学校にはあまりなじめなかったが、まあ、1年だけだ。
その期間が過ぎて俺は地元に戻ってきたが、しばらく海に近づくことは
なかった。ブイ集めもやめたんだよ。