宗像大社
今回はこういうお題でいきます。福岡県宗像市にある 宗像大社は
世界遺産として登録されているほど古い歴史がある神社です。
本来「宗像大社」とは宗像市にある「辺津宮」、大島にある「中津宮」、
沖ノ島にある「沖津宮」の3つを合わせて 宗像大社と呼ばれていました。
宗像神社の根源は、『古事記』『日本書紀』に記された天照大神と
素戔嗚尊の誓約(うけい)にあります。天照大神が素戔嗚尊の剣を
かみ砕き、息を吹きかけたときに生まれた三柱の女神田心姫神(たごりひめ)、
湍津姫神(たぎつひめ)、市杵島姫神(いちきしまひめ) です。
天照大神は三女神に対し、「歴代天皇を助けよ、そうすれば天皇が汝らを
祀るであろう」という神勅を与え、三女神は玄界灘に臨む宗像の地に
降臨したとされます。では、なぜここが宗像(むなかた)という
地名になったのか? これについては自分の考えがあります。

宗像地域は、北部九州から朝鮮半島へ向かう海上ルートの要衝でした。
そのため、航海の安全を祈る祭祀がきわめて重要視され、
宗像三女神は海上交通の守護神として信仰されました。
沖ノ島では4〜9世紀にかけて、沖ノ島では大規模な祭祀が行われ、
出土した奉献品は約8万点、すべて国宝です。「海の正倉院」と
呼ばれています。『日本書紀』には、雄略天皇(465年)など、
複数の天皇が勅使を宗像に派遣した記録が残ります。
この三宮は一直線上に並ぶという特徴があり、古代航路の道標としての
意味を持つと考えられています。ただ、これについて、自分には
独自の考えがあるんですね。ただし、このことについてはAIと議論し
おおむね賛同を得ています。
沖ノ島遙拝所

この地はもともと、地元豪族である胸形(むなかた)氏が支配していました。
その歴史はかなり古いと考えられます、では、どうして胸形と
呼ばれたんでしょうか? ここが最大のキモですね。
意外な内容なので、驚かれる方もいると思います。
胸形氏は北部九州から朝鮮半島の海上交通を掌握した有力氏族で、その氏族名が
地域名として定着したと考えられています。では胸形とは?
これ、自分は女性の胸を表していると考えます。
もともと、古代の地名は、その地の地形からつけられることが多かったんです。
では、下の地図を見てください。海岸線の形が胸の形に似ていると
思いませんか。じつはこれ、海上から舟で見るとよくわかるんです。
おっぱい形をしているんです。
おっぱい形の海岸線

そして、おそらく、中津宮、沖津宮は古代の航路であるとともに、
横たわった女体をイメージして祀られているのだと思います、
そして後に3女神降臨の伝承になった。これ、けっこう自信があります。
中津宮がへその部分にあたる。そして沖津宮が女性の秘所ですね。ですから、
ここは秘密の地とされ、けっして目撃したことは漏らしてはならないとされ、
斎戒沐浴して入る必要があったんです。そしてたくさんの宝が集められた。
たぶんこの祭祀は、縄文時代から続いていたのだと思います。縄文時代には
土偶に見られるような女体崇拝の習慣がありました。この地全体が
そうであたっと考えてもおかしくはないでしょう。
こんなイメージ

古代の海民文化では、海=母胎、島=子宮、岬=女性器の象徴
航海=生死の境界を往来する儀礼、と考えられることが多く、この宗像の
地形はまさにこれを体現しており、海上の「聖なるライン」として
崇敬されてきたのだと思います。
2017年、宗像大社を中心とする「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群が
世界文化遺産に登録されました。沖ノ島は今も女人禁制・持ち出し禁止など、
古代の禁忌を保持し、神職が交代で常駐して祭祀を続けています。
主なご利益は、「海上安全」「交通安全」「国家安寧」などです。ここもたいへん
風光明媚な地ですが、沖ノ島は、特別な場合をのぞいて一般の方の入島が
禁止されています。では、今回はこのへんで。
