今回はこういうお題でいきます。硬い話になると思われますので、
宗教に興味ない方はスルーされたほうがいいかもしれません。さて、
仏教は北インドで、前6世紀頃に始まったと考えられます。
キリスト教よりも500年以上前なんですね。
創始者は釈迦、サンスクリット語でガウタマ・シッダールタで。
シャカ族の王子であったとされますが、このあたりのことは
いろいろ伝説が入り混じっており、真実はよくわかりません。
歴史的には、仏教を庇護した王朝もあったんですが、結果的に現在の
インドで、仏教徒は1%もいないんです。ほとんどがヒンドゥー教徒です。
なぜ、こうなってしまったのでしょうか?
釈迦と弟子たち

原因は大きく2つあると考えられます。一つはヒンドゥー教との競合に
負けたこと。しかしこれは、強権的なものでも、暴力的なものでも
ありませんでした。自然に負けたといえばいいでしょうか。
ヒンドゥー教にはたくさんの魅力的な物語がありました。
戒律は厳しくなく、性を肯定していた。
しかし、最も直接的な原因はイスラム教により、徹底的に弾圧されたからです。
インド仏教が最盛期を迎えたのは、1~3世紀のクシャーナ王朝です。
また、この時期に大乗仏教が確立し、中国をへて朝鮮や日本に伝わりました。
また、タイやミャンマーなどは上座部(小乗)仏教ですね。
クシャーナ朝
320年頃にグプタ朝が建国されます。そこで国教に採用されたのは、
ヒンドゥー教の前身であるバラモン教です。このあたりか仏教の
衰退が始まっていきます。そして社会全体がバラモン教に移行していった。
このグプタ朝も、5世紀なかばにインドに侵攻してきた遊牧民国家
エフタルに圧迫を受け、滅亡します。そしてムハンマド(マホメット)
が現れ、イスラム教が興る。
ご存知のように、イスラム教は他の宗教の存在を許さない苛烈な
宗教です。そして偶像崇拝を徹底して廃しました。仏像などは
その恰好のターゲットにされたわけです。
現代のイスラム

エフタルは、大規模な仏教弾圧を行いましたが、6世紀のはじめ頃には
撃退されます。しかしその後、インドは多くの地方政権が分立する
時代となります。そして8世紀に入り、
711年、インドに侵入してきたイスラム教徒が西インドを制圧しました。
これが最大の転機ですね。まあ、イスラム教にしてみれば、他宗教との
戦いは聖戦であり、どちらが悪いとは言えません。
イスラムも最初のうちは、仏教徒を無差別に攻撃したわけではありません。
反抗されれば皆殺しなどもありましたが、反抗しなければほうって
おかれたんです。しかし、これで済むはずもなく、
エフタルの侵入

だんだんに仏教徒のイスラムへの改宗が進められました。仏教寺院は
破壊され、イスラムのモスクに変えられていきました。
人々はイスラム式の礼拝を受け入れざるを得なかったんです。
しかしそれでも、東インドではパーラ王朝が、熱心に仏教を庇護して
いました。しかし、そのパーラ王朝もイスラムにより
滅亡に追い込まれます。あとは仏教は消えていくだけ。
多くの仏僧と尼僧が殺害され、仏教寺院は跡形もなく破壊されました。
現在、史跡を探ろうとしても、場所さえもわからなくなったんです。
また、仏教には非殺生の戒律があり、イスラムと争うこともしませんでした。
ヒンドゥー教

だいたいこういった顛末だったんです。しかし結局、イスラムも
波のようなヒンドゥー教の力には負け、滅ぼし切ることはできなかった
んですね。こうして現在のインドになるわけですが、
ヒンドゥー教が広まっているのはほぼインド一国だけであり、
それに対し、仏教は周辺国にかなり広まって世界宗教となりました。
また、インドにも仏教徒の集団は残っていて、古い形を伝えています。
ということで、今回はこのへんで。

