これは俺が小学2年生か3年生のときだと思う。家で猫を
飼ってたんだよ。オスの黒猫だった。名前はチャミって言ってたけど、
もうだいぶ前に死んだよ。それで、家は郊外の一軒家だったけど、
表へ通じる玄関のドアには猫ドアがついてた。ほら、猫だけが通って
いける小さいドアのことだよ。猫はそこを押して通っていけるが、
外からは家の中を覗くことはできない。で、子どもの俺はチャミを
追いかけ回してよく遊んでた。まあ、今から考えれば猫は迷惑だった
ろうけどな。あ、ある日、四つん這いになってチャミを追いかけてたら、
チャミは怒ったような顔で廊下から玄関のほうに向かった。
で、俺もあとをついて行ったが、チャミは玄関のコンクリに降りて、
猫ドアに向かった。もうガキの相手は嫌だったんだろうな。
俺は四つん這いになってチャミを抱き上げようとしたけど、チャミは
その手をするりとくぐり抜けて猫ドアをくぐった。そんとき、俺も
目線が低くなってたから、猫ドアの外が見えたんだよ。そしたらそこ、
本当は家の外で、道が見えるはずだったんだけど、そうじゃなくて、
とてもおかしな景色が広がってたんだ。深い芝生のような草がずっと
生えてた。それ、緑なんだけど、なんだか金色がかっているようにも
見えたんだよ。そしてそのずっと向こうに大きな川が流れているようだった。
猫ドアは小さいので、そう広い範囲が見えたわけではないが、
電柱やアスファルトの道などの人工的なものは、いっさいないようだった。
「あれっ?」と思い、立ち上がってドアを開けた。そしたら、なんのことはない、
いつも見ている玄関前の道路で、車も通っていた。そしてチャミが
歩いていく後ろ姿も見えたんだ。俺は「おい、チャミ」と声をかけたが、
振り返る様子もなく、ゴミ捨て場を足場に塀に上って消えていった。
で、これはおかしい、と思って、一人でまた家の中から猫ドアを
開けて覗いてみたんだよ。でも、あのおかしな景色ではなかった。
いつもの家の前。さっきのは、何かの見間違いだったんだろうか?
そうだよな、あんなおかしな景色があるはずはない。そうは思いながらも、
ときどき猫ドアを覗いてみるようになった。そしてわかったんだよ。
たしかにあの景色はある。何度か見た。しかしそれは自分一人だけのとき
ではなくて、必ず、チャミが外に出た後から覗いたときだけだったんだ。
・・・今考えると、チャミだけがあの世界に入っていくことができて、
その後ろから覗いたときだけ、俺にも見えるってことだったんだと思う。
でな、この発見を俺は母親に言ったし、晩飯の前に晩酌をしている
父親にも話したんだよ。だけど、「そんな馬鹿なことがあるわけがない」と
一笑にふされてしまった。「父ちゃんも覗いて見てよ」と言ったけれど、
やることはなかったな。俺がでたらめを言ってるんだと思ったんだろう。
そして・・・あれは小学3年の終わり頃だと思う。学校から戻った
夕方の4時頃だったかな。いつものように。チャミが猫ドアから出ていった後、
俺も外の景色を見た。あの金色に光る草が生えた世界だったが。いつもとは
違ってた。家に向かって歩いてくる人が見えたんだよ。その人は小柄な
老人で、深い皺と長いあごひげが見えた。そして、いつもならすぐに
見えなくなるその景色がずっと見えてたんだよ。その老人は黒いローブの
ようなのを着て、フードを被ってた。そして一歩一歩、俺のほうに近づき、
最後は足だけが見えたんだよ。裸足のようだった。
俺は猫ドアを閉じた。今のじいさんはこの家の前にいる。しかし、
数秒待っても、インターホンもチャイムも鳴らない、そこで、思い切って
ドアを開けてみたんだ。しかし、そこには誰もいない。ただいつもの
玄関前があるだけだった。・・・だけど、これで終わりじゃないんだよ。
それから数分して母親の「キャーッ」という悲鳴が聞こえた。
うちは父方のばあちゃんと同居してたんだけど、母がばあちゃんの部屋に
お茶を持っていったとき、ばあちゃんがテーブルに突っ伏すようにして
亡くなっていたんだ。救急車が呼ばれたが、死因は突然の心臓麻痺という
ことだったんだよ。ばちゃんと言っても、まだ60代だった。
もしかしたら、猫ドアから見た黒い老人と関係が
あるのかもしれないと思ったが、親には言わなかった。その後、
チャミの後に猫ドアを覗いても、不可思議な世界は見えなくなったよ。
チャミはそれから7年ちかく生きたけどな。
