これ、俺が中学校1年のときの話だよ。もう30年以上前のことだな。
すごく不思議な話なんだ。いまだに、本当にあったことかどうか
考えればわからなくなってくる。まあ、俺の記憶しているとおりに
話すよ。俺は小学校は公立だったが、中学校からは私立に行くことになった。
で、家からはけっこう遠かったんだよ。自転車で30分くらいかかった。
4km以上はあったと思う。で、俺の小学校のときの同級生は、ほとんどが
公立の中学校に行ったから、その私立中では、まったく友だちが
いなかったんだよ。それで、俺の苗字は浅田といって、出席番号はクラスで
1番だった。そのとき2番だったのは網野ってやつだったんだ。
こいつは背がひょろっと高くて、中1で170cmくらいあった。
女の担任よりもずっと大きい。で、クラスの席も、当面、担任が名前を
覚えるまでってことで、出席番号順に座らされてたんだ。
だから友だちのいない俺は、必然的に後ろを振り返って、網野と
話をすることになる、入学したてでいろいろとわからないこともあったし。
あと網野の特徴と言えば、顔は卵型で、髪はかなり縮れたのを短くしていた。
黒人によくあるような髪型だった。あと、こいつはしゃべり方が少し
変だった。そこの県の方言をほとんど使わない。きれいな標準語で、
もともと東京に住んでたんじゃないかと思った。だけど、アクセントと言うか、
発音はなんだか変で、間のびしたような感じだったんだよ。それと、
これは入学後、数日して気がついたんだが、こいつは毎朝と帰り、
黒塗りの高級車が迎えに来て、それに乗って帰ってたんだよ。中学校に入って
楽しみなのはやはり部活動だよな。新入生への部活動集会の前に、
俺が網野に「何部に入る?」と聞いた。俺はテニス部に入ろうと思ってたんだ。
ところが網野は「部活動に入る予定はない」こういうふうに答えた。
そのときは変わったやつだなと思ったが、たぶん勉強を頑張る気なんだろうと
考えて、あまり気にはしなかった。それで2週間目くらいに所属する委員会を
決めることになった。学級委員長をはじめ、生活委員とかそういうやつ。
委員会に入らないやつは教科の連絡係になるから、全員が何かしらの
役につく。で、俺のことはクラスメートはほとんど知らないから、何かの
委員に推薦されることはなく、自分から立候補もしなかったので、ずっと
決まらないままだった。で、最後になって図書委員が残ったんだよ。
じつはこの図書委員は嫌われてて、それは週に1回貸し出し当番というのがあって、
30分くらい図書館にいなくちゃならないからだ。部活動の練習にさしさわる。
で、どうしても決まらないので、担任が最後に、「まだ役がついてない人は
立ってください」と言い、そこで立ち上がったのが俺と網野だったんだ。
図書員は、本来は男女それぞれ1人ずつだったんだが、このクラスは男子のほうが
多かった。それで男だけがあまったんだな。だから特例で男2人で
やってもいいということになったんだよ。その後、最初の委員会があり、
委員長は3年がやる。あとは活動計画を立て、貸し出し当番の予定を決めて終わり。
俺と網野は、さっそくその週の金曜日に当番になった。図書室のカウンターで
30分を過ごす。本を借りにくるやつは少なくて、たまに女子がくるくらい。
手持ち無沙汰で、そのときに網野と話をした。俺が「お前、毎日すげえ車で
送り迎えされてるよな」そう言うと「家が遠いんだよ」と。住所を聞くと
かなり離れた場所で、徒歩や自転車で来るのは大変そうだった。
「お前、家が金持ちなのか」そうも聞いたが、網野はとくに自慢するふうでもなく
「金持ちっていうか、旧家なんだよ。どうやら鎌倉時代頃から続いてるらしい」
はあ、と思った。だからこいつはしゃべり方がなんか変なのかもしれないと。
で、あのことがあったのは3回目か4回目の貸し出し当番のときだよ。
そのときも網野と2人でカウンターにいると、図書委員会担当の先生が
窓を開けて、黒板消しを棒でパンパン叩き始めたんだよ。当時はまだ
黒板消しクリーナーなんてなかったからな。そのとき、急に風が強まったと見え、
ぐわっと俺たちのほうに粉が舞いかかってきたんだ。先生は「あ、ごめんなさい」
と言ったが、よけることはできなかった。盛大に頭から粉がかかって、
俺は大丈夫だったが、網野は大きくクシャミをした。そのときにやつの
鼻がポロっと取れてカウンターに落ちたんだよ。網野は「あっ!」と
慌てたような素振りで、落ちた鼻を拾うと、そのままくっつけた。そしたら
ふつうにくっついたんだ。網野は俺のほうを向いてたんで、担当の先生には
見られなかった。俺は呆気にとられたが、網野は「しようがないなあ」という
顔をして「今の見ただろ」と俺に言った。「鼻が落ちた!」 「すぐ落ちるんだよ。
つくりが甘かったらしい」 「つくり?」 「ああ、僕はつくられたんだ。
どうやってかわからないけど、気がついたらこの世に存在してた。子どもの
ときの記憶はほとんどないよ」 「何で? 何のために?」 「ああ、家の人の
話では、どうやっても跡継ぎができなくて、旧家をつぶすわけにはいかないから、
その筋の術者に頼んでつくってもらったんだそうだ」・・・もちろん、こんな話、
信じられるわけがない。だけど、やつの鼻が下に落ちたのはたしかに見た。
これ以来、俺は気味が悪くなって、網野のことを避けるようになったんだよ。
で、5月になって、宿泊研修があった。市の郊外にある少年自然の家に一泊する。
テント生活で、炊事も飯盒をつかって自分たちでつくる。これも班決めがあり、
こないだのことがあったから、網野とは同じになりたくはなかったが
なってしまった。網野は鼻が取れたのを俺に見られたことを忘れたかのように
ふつうに接してきた。で、午前中は外でレクリエーショなどをして、11時頃から
炊飯の準備に取り掛かった。献立はカレー。カレーなら、できが悪くても
なんとか食べることができる。まずは薪探しということになった。焚き付けに
できるような細い乾いた木っ端を探す。そのとき林の中でグループは別れて、
俺と網野だけになった。俺はこないだのことを言い出そうかどうしようか
迷って、「・・・なあ」と言いかけた。そのとき、歩いていた網野が、
斜面の近くでから足を踏んだ。張り出していた植物を網野は地面があると
思って踏んでしまったんだな。「うわあ」と声を上げて網野は下に落ちたが、
高さは2mもなかった。「おい。大丈夫か?」俺が声をかけると、網野は
「何でもないよ」と立ち上がろうとしたが、そのときに周囲を見回して
「あっ!」という顔になった。そして「ハシリドコロだ」と叫んだ。
どういう意味か、そのときはわからなかったが、とたんに網野の体が、
手指の先をはじめにドロドロと溶け出したんだよ。「ああ!」俺は立ちつくして
見ているしかなかった。網野の鼻があのときのようにポロリと落ち、
目玉も流れた。ヤブの上に両手をついて起き上がるとしたその両手が、
中程から折れた。そうして、ものの1,2分で、網野の体は溶けた泥のかたまりに
なった。その上に服がふわりと載っていた。さらにその服の下から、1mもある
太いミミズのようなものが這い出してきて、斜面の下に消えていったんだ。
俺は、どうしようもなく、広場に戻って先生に報告したが、網野の体が溶けた
とは言わなかった。そんなことを話しても信じてもらえるとは思わなかったんだ。
先生は驚いて点呼の笛を吹き、クラスメートが集まってきたが、網野だけは
いなかった。先生方で手分けをして探したが、ただ脱ぎ捨てられた服と下着が
あるだけ。そのまま網野は行方不明になり、いまだに見つかってはいない。
まあ、こういう話なんだよ。あと、ハシリドコロという言葉は気になってて、
ネットで調べてみたが、ある種の毒野草ということだった。
俺も警察に事情を聞かれたが、まさか溶け去ったとは言えなかったよ。
網野の両親は学校にも何度か来たが、もう網野のことは諦めているような
サバサバした感じだったらしい。聞いたところでは、その家ではすぐに
養子をとり、断絶するということはなかったようだ。・・・今思い返しても
とうてい本当にあったこととは信じられないが、全部実話なんだよ。
