今回はこういうお題でいきます。うーん、これもなかなか難しい
話になりそうですね。まずは人柱の定義から。これはただの生贄や
人身御とは違い、土木や建築について言われることが多いですね。
Wikiでは、「大規模建造物(橋、堤防、城、港湾施設、など)が
無事完成すること、または災害(自然災害や人災)や敵襲に
よって破壊されないことを神に祈願する目的で、
建造物やその近傍にこれと定めた人間を生かしたままで
土中に埋めたり水中に沈めたりする風習をいう」とあります。
まあ、これで過不足なく説明されていると思います。

あと、人柱になったものは、その建造物の守り神になったと
考えられ、この人柱の「柱」という言葉には、神道で神を
ひと柱、ふた柱と数えることも関係していると考えられます。
では、日本に人柱はあったのか? じつは人柱の伝承は日本全国に
あります。ですから、これだけ見れば、あったと言いたいところですが、
公式文書に残されているものはほとんどないんです。また、考古学的に
人骨などが出土した事例も稀です。
ただし、総合的に見て、自分はあったのではないかと思います。
ただし、人柱をやるほうにも、これがほめられたことではないとわかって
いたので、公的な文書には残さなかったのではないかと考えられます。

自分のイメージとしては、日本の古代においては、橋を建造する場合に
人柱が多かったような気がします。現代とは違い、流れのある
川などに橋桁を建てるのは難しかった。水で流されてしまうことも
多かったんです。それを防ぐために人柱が行われた。
藤原京跡から出土した木簡に、表に「急々如律令」と書かれたものがあり、
これは呪文の言葉ですので、呪符木簡と言われています。
裏には方角をつかさどる神の名とともに、2人の婢の名が
書かれており、一人の名は判読できなかったんですが、
もう一人は、「麻佐女 生廿九黒色」と読めました。この29歳の
アサメはどうやら人柱になった可能性があります。黒色というのは
肌が黒いということでしょうか。陰陽五行説では、
黒は水、女は土を表しますので、

この2人の女性は、水で土が流されないようにする意味があった
のかもしれません。ただし、この木簡は上下に縄で縛ったような
跡があり、もしかしたら、実際の人間ではなく、
その代わりとして、この木簡が橋桁に縛りつけられていたのではないか
として議論がされています。まあ、古代のことですし、人骨が
出土したわけでもないので、その可能性はありそうです。
中世以降の人柱は、水場の工事以外にも、築城の場合に人柱が
立てられたという話が多いですね。実際、そういう伝承のあるお城は
複数存在します。では実際にあったかとなると、これは微妙。

人柱にする場合、武士を埋めるということは考えにくく、近隣の
農民ということになるでしょうが、そうすると、農民の側は
苛政であるとして訴え出たり、あるいは一揆を起こす
可能性もあり、領主側にとっては危険があったはずです。
それを考えれば、実施された例は少ないのではないでしょうか。
ただし、難工事が続いた場合、僧侶などが自ら人柱になることを
望んだといったことはあるのかもしれません。仏教では「捨身」という
概念があり、自ら大衆のために死ぬということもありました。
即身仏などがそうですね。

さてさて。ということで、日本における人柱について見てきました。
上記したこと以外では、殉葬・殉死に関連した人柱も
あるのかもしれません。中国の殷(商)や周の時代には、
殉葬として、王の墓に、馬と馬車が、御者ごと埋められていたり、
後宮の妃と見られる女性が多数埋められている事例もあり、
これらも、一種の人柱として見てもいいのかもしれません。
また、すでに死亡している人間の死体を、人柱的に埋めたことも
考えられます。近代のトンネル工事などでも、タコ部屋の人夫の
死体を壁に埋めたりした事例は確認されています。
では、今回はこのへんで。
まとめ ・ 日本での人柱は、多くはなかったと考えられるが、まったく
なかったとは思えない ・人柱を立てるのは、水場の工事や城郭、
難工事の場合に行われたと考えられる
日出城 人柱の可能性高し

