今回はこういうお題でいきます。2008年の映画、インディ・
ジョーンズシリーズのひとつ『クリスタル・スカルの王国』では、
南米マヤ遺跡などから出土する13個の水晶ドクロ、これをすべて
集めれば、世界の秘密が手に入ることになっていました。

 

ただ、映画の評判はいまいちでしたね。結末が異星人ネタであり、

さらに敵役がナチスであることなど、あまり新味がなかったことが

原因であると思われます。

その中心になるのがヘッジス・スカルというもので、イギリス人の
探検家、F・A・ミッチェル・ヘッジスは、1927年頃、その養女
アンナとともに、アトランティス文明の痕跡を求めて、南米、
ユカタン半島のホンジュラスを調査していました。

古代マヤ文明の遺跡、ルパントゥンと言われています。そして、
アンナの17歳の誕生日に発見されたのが、クリスタルスカルである、
とされていました。さらに、このようなクリスタル・スカルは
13個あって、世界中に散らばっている・・・

 

スカルの調査写真



しかしこれ、よくよく調査してみると、怪しいことばかりなんです。
探検家ヘッジスが、ルパントゥン遺跡の調査に参加していたのは
間違いありません。そのときの写真もたくさん残っています。

しかし、その中には、養女アンナやクリスタル・スカルの写真は
一枚もないんですね。これは怪しい。もしもそのような大きな
発見があったのなら、必ず写真に撮るはずです。

どうしてないんでしょうか。はたして17歳のアンナは
このような過酷な探検に参加できたのでしょうか?
この話自体は、ヘッジスの死後、アンナから出てきたものです。

 

ミッチェル・ヘッジス インディのモデルの一人



ただ、1926年、ヘッジスはイギリスに一時帰国しています。ですから、

1927年にはホンジュラスにはいない。そのことを指摘されると、

アンナは、記憶違いで、じつは1924年のことだと言い始めました。

また、このルパントゥン遺跡調査の報告書を書いているノーマン・
ハモンド博士も、クリスタル・スカルについてはまったく
触れていません。結論から言うと、アンナがルパントゥンに行った
という根拠はどこにもないんです。

 

ルパントゥン遺跡



さらに発見者であるはずのヘッジスも、このドクロについては著書で
まったく触れてないだけではなく、ドクロの出自については
「わけあって言えない」などと書いているんです。

 

このことを調査した人物によると、ヘッジスは、このドクロを
1944年にロンドンの美術商から400ポンドで買ったという

証言をしています。このことはロンドン美術館の記録にも残っています。

さらに、このドクロの前の持ち主は、イギリスの個人コレクターで
あることもわかっています。そしてこのドクロは大英博物館に
ある水晶ドクロのコピーであるとも述べているんです。

 



そしてついに、2008年、映画の公開に合わせてドクロの検証が
行われ、スミソニアン研究所で電子顕微鏡で調べたところ、
ダイヤモンドの研磨剤の跡が見つかったんですね。
つまり近代の加工品だったんです。

ただ、ドクロの水晶の出自はよくわかっていません。さらに、
フランスにある水晶ドクロも調べられましたが、やはり機械の

研磨跡が発見されているんですね。他の調べられたドクロも同様です。

おそらく、こういう美術品の流行が当時あったんでしょう。

 


さてさて、またしても夢を壊すような話になってしまいましたが、

この手の話はこういう結末になることが多いんです。おそらくですが、
老齢になったアンナが、謝礼ほしさ、あるいは注目を浴びたさに

ドクロの話をでっちあげて発表したのだと思います。

さてさて、これがクリスタル・スカルについての顛末ですが、
世界のどこかには、もしかしたら本物が隠されているのかもしれません。

ということで、今回はこのへんで。