その地方出向を打診されたとき、私は2つ返事で承諾した。
妻と離婚したばかりで、心中を整理するいい機会と考えたからだ。
妻とは7年間いっしょに暮らし、私は34歳になっていた。
赴任したのは地方の県庁所在地で人口は40万ほど。私は
資材課長という肩書になったが、部下は2人しかいなかった。
そもそもそこの支社は総勢12名ほどしかいない。おそらく仕事も
のんびりしたものだろうと思った。東京のような苛烈な他社との
競合はおそらくないのだろう。住居はとりあえずは会社で契約している
アパートに住むことになった。築5年ほどと新しく、内装は
きれいだった。賃貸マンションと言ってもいいつくりだった。
1LDKだったが、一人で住むには十分だった。独身生活に戻ったのだ。
赴任してすぐ引き継ぎをしたが、特にわからないことはなかった。
これならすぐにでも仕事に打ち込むことができる。通勤は電車、
そこの都市には地下鉄はなかったが、JRの他に私鉄の地上線が
走っている。それで3駅ほどの距離だ。かかる時間は25分ほど。
東京のように列車の本数は多くはないが、もしも乗り過ごしても
歩いて1時間ほどの距離だった。赴任して4日後の金曜日、歓迎会が
あった。支社の人はみな気さくな人ばかりで、これなら人間関係で
悩むこともないだろうと思った。離婚のゴタゴタで疲弊していた
私にとってはこれはありがたいことだった。しばらくはのんびりと
過ごそう、そう考えた。歓迎会は会社近くの居酒屋で行われ、
その後2次会でカラオケに行った。大いに盛り上がり、11時頃に
解散になった。まだ、ぎりぎり終電に間に合う時間だったが、
駅に入ってスマホがないことに気がついた。あれがないと仕事上困る。
すかさずカラオケ店に引き返したが、まだ閉店してはおらず、
スマホは忘れ物としてカウンターで預かってくれていた。ほっとして、
礼を言い、駅へと引き返したが、すでに終電には間に合わない時刻に
なっていた。どうしよう、タクシーで帰るか、それともどこか
駅の近くにでも泊まるか。しかしホテルは金がかりすぎる。
それともサウナか、ネトカフェにでも泊まるか。しかし、そのあたりに
サウナはなく、ネトカフェはあったが、安眠できそうにもない。
しかたがない歩くか、と思った。どうせ1時間程度の距離だ。
最近運動不足だし、歩くのも運動になって悪くはない。
アパートまでの地図はまだ把握はしていないが、幸い線路に沿って
細い道がある。そこをたどっていけば降りるはずの駅に出るだろう。
私はそう考え、まだ酔いの残る足取りでふらふらと歩いていった。
線路脇の細い道、舗装はされているが車が通るのはかなり厳しい。
すれ違いに難渋しそうな道。街灯もほとんどなく、線路と反対側の
家々は明かりが消えているところが多かった。そこを歩いていると、
妻との離婚の経緯が頭に浮かんできた。離婚の原因は、どちらかが
浮気したというわけではない。性格の不一致とも違う。息子が6歳で
亡くなったのがやはり要因だったろう。小学校に上がって数カ月後、
交通事故で亡くなってしまったのだ。そしてそれからすべてが
うまくいかなくなった。そんなことを考えながら30分ほど歩いた。
そのうちおかしなことに気がついた。道沿い家々の軒に、お祭りの
提灯のようなものが吊るされているのだった。
どの家もそうだ。これは何だろう? この地方の風習なんだろうか?
しかし人の気配はなく、どの家も寝静まっているような感じだった。
もう半分ほど来ただろうか。喉の渇きを感じた。しかしそこは裏路地で
自動販売機などもない。ただ、その道の一本脇にはやや広い通りが
並行して通っており、家の合間からコンビニらしい店のネオンが見えた。
私はそこで、せまい隙間を通って隣の通りに出た。コンビニで
ペットボトルの水を買おうと思ったのだ。時刻は12時を過ぎていて、
コンビニには店主らしき年配の男性が一人いるだけだった。レジで
その提灯について聞いてみた。そしたら店主は驚いたように、
「あすこの道を通ったんですか、ええ? この街には初めて来た?
あすこは通らないほうがいいですね。もう40年も前のことになりますが、
あの路線で脱線事故が起きた日なんですよ。その記念というか、
慰霊のために提灯を灯しているんですよ。もちろん私もまだ
コンビニをやってなかった頃ですが、この市にはいました。
十数人が亡くなった大事故だったんですよ」と言った。
それは知らなかった。いや、どこかで事故の話は見たかもしれなかった。
なんとなく記憶がある。しかしいずれにしても古い話だ。私はそのまま、
コンビニ前の通りを歩いていこうかと考えたが、線路が見えなくなるのが
不安だったので、また元の線路脇の寂しい通りへと戻った。
そしてペットボトルの水をラッパ飲みしながら歩いていった。
そして10分ほども歩いた。もうすっかり酔いは覚めていた。4月の
風はまだ冷たかったが、それも心地よい気がした。そして・・・
異様なことに気がついたのだ。その路地には家々の裏口が向いているのだが、
下げられた提灯の下にお盆の供養の棚のようなものが出ているのだ。
そしてそこには茶碗が置かれていて、中には米の入った小皿が
出ている家もあった。これは何だろう? コンビニの店長の言葉を
思い出した。40年前の事故の供養なのだろうか。ここの人たちが
その頃から住んでいるのであれば、事故は大変なことだったろう。
その頃の記憶を今も保ち続けているのだろうか? ここまで1時間近く
歩いた。もうすぐアパートのある駅に着くはずだ。そのとき、不意に
近くの家の裏戸が開き、中から家人が出てきた。
老人も子どもも、一家の全員とおぼしき人たちがいた。これは何だ?
やはり供養の一環なのか? 出てきた人たちはみなしゃべることもなく、
ただ、線路のほうに向かって手を合わせていた。そして隣の家も
その隣の家もそうだった。このまま進んで行ってもいいのだろうか?
道の正面から、数十人の集団が歩いてきたのが見えた。みな駅員の制服を
着ていた。その人たちは家々の塀の前に立つと、線路に向かって
合掌の姿勢をとった。どういことだ? そのとき、駅員の中の年配の
一人が私に向かって言った。「もうすぐ通りますよ。あなたもここに
並びなさい」その強い口調に押されて、私はペットボトルをカバンに
しまい、その列の端に並んだ。やがて・・・ガタゴトという列車の音が
聞こえてきた。もうとっくに終電の時間は過ぎたはずだ。
貨物列車なのだろうか。まさか・・・突如として線路の上に列車が姿を
現していた。あちこちがへこんで歪み、ガラスの割れた列車が走っていた。
まさか、こんな! 道脇の人はみな合掌の姿勢のままお経らしき
ものを唱えていた。ありえない、こんなこと。近くの駅員が私にささやいた。、
「ここが事故現場なんです。事故はもう昔のことですが、ずっとこうして
いるんですよ」と。そして眼の前まで着た古いボロボロの列車は、
線路から外れて宙に舞い上がり、線路もなにもない空に向かって駆け上がったのだ。
「このあたりの住人はずっとこうしているんです。私たち駅員もね。
いつ終わるのかわかりません」電車はみるみる小さくなって、雨雲が渦巻いている
夜空に消えた。そのとたん激しい雨が降り出してきた。私は電車の最後部、
窓に顔を押しつけている男の子を見たと思った。死んだ息子の顔だと思った。
