今回はこういうお題でいきます。祓(はら)いというのは、神道の
基本的な概念です。意味は「穢(けが)れを清める」ことです。
では、穢れとは何かというと、集団の中で忌まれる罪ですね。
これには天つ罪と国つ罪がありました。

天つ罪とは、神道において、天の秩序を乱す行為を指します。これは
神々や自然の秩序に対する冒涜や妨害を含みます。また稲作に関することも。
国つ罪は、血の穢れを起こす行為、身体的異常による穢れ、反社会的な
性的関係、天災、他者の生命や財産を損なう呪いなどです。  


これらは神話時代のものですが、社会生活が進むにつれて、罪の

数もだんだんに増えていきました。これらを犯すことで、存在自体が

汚れてしまうんですね。現在でも、悪いことをするものを「汚いやつ」と

言いますし、悪事のことを「汚いこと」と言いますね。

 



神道では、このように罪を汚れることととらえてきたわけです。
日本人は、たとえ法律にふれなくても、「汚いこと」をする
「汚いやつ」をひじょうに嫌ってきました。

ですから、周囲から「汚いやつ」と思われることを避けてきたと
言ってもよい。つまり「恥」を嫌う文化だったんです。そして恥は
そのままでは、ずっといつまでも残ると考えられました。

そこで「恥をすすぐ」という考え方が生まれました。いったんかいて
しまった恥をなかったことにするには、相当に

思い切ったことをしなければならない。

 



その一つの形が「切腹」ですね。切腹は主に武士階級で行われ、
何かの不始末をおかしてしまった。それは恥なのですが、切腹を行う

ことで恥は帳消しにされます。その代償として自分の命を差し出す

わけですが、たんなる自殺ではない。

これにより、お家の取り潰しをまぬがれたり、親族に累が及ぶことが
避けられる場合もありました。江戸時代、赤穂浪士は討ち入りに参加した
全員が切腹になりましたが、当人たちは「けっこうなご沙汰」
と言って喜んでいたと言われます。

武士であっても、非人道的な重罪を犯したものは切腹ではなく、
たんに首を斬られる斬首になりましたが、赤穂浪士は自分の名誉が
守られると考えて喜んだわけです。

 



現代でも、例えば野球でエラーをしてしまった者が、その後に本塁打
などを打って「恥をすすぐ」、こんな形で生き残っているんですね。
また、日本は先進国の中では格段に訴訟が少ないと言われます。

裁判沙汰と言いますが、そういう形で他人と争うこと自体が嫌われる。
また、他国の人間と比べて、列の割り込みなどは少なく、
バカ正直と言えるほどにルールを守る人が多い。

youtubeで、深夜のまったく車が通らない交差点で、歩行者が赤信号を
守っている映像が出されて、諸外国で話題になりました。
そんなのは非効率で無意味だ、と考える外国人は多いんですが、
日本人はこういう人がたくさんいるんです。

 



そうすることでルールが徹底する。例外を勝手に認めてしまうと、
そのルールはなかなか定着しないんです。例えばゴミの持ち帰り
なども、しっかりルールとして定着してきました。

では、穢れてしまったらどうするか。これは神道では「禊(みそぎ)」
をすれば清められると考えられてきました。これはたんに体を

洗い清めるだけでなく、心を洗い清めることなんです。そして

次から穢れないようにする。

これら全体を通して「祓い」と言います。ただし、この感覚は現代に
なって、だんだんに失われてきていることもまた事実です。
オレオレ詐欺などの犯罪や自己中心的な人間が増えてきています。
しかし、こういった古き良き感覚はなくしてほしくないものです。
では、今回はこのへんで。