俺は咲村と言って、関西のある私立大学の2年。専攻は文学部だけど、
民俗学研究サークルってのに入ってるんだ。で、この正月は前年の
12月30日から1月4日まで地元に帰省してた。で、5日の日に
大学へ顔を出した。冬休み中なんだが、サークルの会合があった。
そこで集まったメンバーは俺も入れて5人、それと顧問の錦田先生。
この人は30歳くらいでまだ独身。大学での肩書は講師なんだが、
気さくで話しやすい人だ。俺らが顧問を頼みに行ったら、快くひきうけて
くれたんだ。メンバーは2年が2人、1年が3人。3年生以上はいない。
やってることはサークル名のとおり民俗学の研究だが、実際の活動は
温泉巡りだよ。全国の秘湯と言われるところに行って、その地の
いわれを調べたり、神社なんかを巡ったり、地元の人に話を聞いたりする。

でな、じつは1月15日のどんど焼きの日の前後、どこかの温泉に行こう
って話になってた。そんなにすぐじゃ予約が取れないと思うだろうが、
それは有名な温泉地の話で、こっちが行こうとしてるのは名もない秘湯。
今からでも間に合うと思った。それにそういうところは料金も安いだろう。
湯質はわからないが、まあそれはしかたがない。ということでメンバー全員で
関西の地図を広げて、温泉マークのあるところを見てた。そしたら、
奈良県の端っこの山間地に温泉があるのを見つけた。地図にはイ羊温泉と出てた。
「これ、聞いたことあるか?」  「いや、聞いたことはないな。まあ俺は
奈良県はくわしくないけど」  「いいんじゃないか。この山奥で、名前が
知られてないんならきっと秘湯だぜ」 こう話しているところに錦田先生が
入ってきた。「あ、どうも。明けましておめでとうございます」

「ああ、今年もよろしく」さっそく先生にこのイ羊温泉が候補になったことを
話した。「ふうん、いいんじゃないか。自分も聞いたことがないし、
予約なしでも泊まれそうだ」  「けど先生、ネットで検索したけど、宿なんかは
のってないんです」  「うーん、それは、ホームページなんか作ってないのかも
しれんな。こういうときは、この村の観光課に電話して聞いてみればいい」
「ああ、そうっすね」ということで電話をかけると、仕事始めの日で、あまり

仕事もないみたいですぐにつながった。「イ羊温泉について聞きたいんですが」
「この村の温泉宿だよ。1軒宿だけどね」  「やってますか?」  「そうだと
思うけど、なんなら電話かけてみようか?」  「あ、お願いします。それと今から
予約が取れるか聞いてみてください」  「いいよ。おそらくやってれば予約は
取れると思う。年中、開店休業のような状態だから」  「ところでこれ、

なんと読むんですか?」  「ああそうか、辞書に出てない漢字だからね。
ぼうよう温泉って読むんだ。当て字か、自分たちでつくった漢字だろうね」
ということでいったん電話を切ったが、すぐに返信が来て、

「予約はOKだそうだ。本来は村の人が湯治にいくところで自炊なんだが、

君たち自炊するつもりあるの?」  「ああ、それは無理です」 

「だろうね。けど頼めば食事は出してくれるそうだよ。
そうするかい。朝と晩だけだけど」  「昼は店でパンでも買いますよ。

じゃ、お願いします」  「ああはい、こちらこそよろしく。歓迎しますよ」
行くのは1月14,15、16日の2泊3日で、宿賃は1日、なんとたったの
4800円だった。「これは安いな」  「ああ、だけど食事内容は

期待できないな」  「そうだが、温泉の湯質がよければOKさ」  

 

「ああ、それも聞いておけばよかった」ということで、メンバーの中の

田島というやつがミニバンを出すことになり、14日の午前に

出かけたんだ。行った先は大阪から車で3時間近く、高速はないが、
そのかわり通る車も少なかった。どんどん道は山に入っていき、低山にかかる
トンネルを出たところがその村だった。役場で道を聞いたら温泉は村の外れ、
一本道のつきあたりにあるということで、場所はすぐにわかった。木造の
建物で、田舎の分校の校舎のようなつくり、木の看板には大きく「イ羊温泉」と
彫られてあった。硫黄泉ではないらしく周囲はそういった臭いはしない。ただ、
温泉の裏手からは湯気がもうもうと上がっていた。どうやら源泉の宿らしい。
女将さんというか、宿の主は年配の女性で、60代以上。シワの多い柔和な
顔つきだった。俺らはさっそく帳場に入り部屋に案内された。畳は黄ばんでいて


長年取り替えてないようだったが、調度はそこそこ立派だった。主に

そのことを言うと、「そうでしょう。明治時代は皇族の方も来られてたんです」と。
「へえ」と思ったが、自炊宿にそんな高貴な人が来たりするんだろうかとも
思った。さっそく自分たちのサークルのことを話し、だれかに村や温泉の歴史を
聞きたいとたのんだ」主は「そうですか。それなら、この近所に以前
小学校の先生をやってた方がいるので、来てもらうように頼んでみますわ」
ということで、ほどなく宿にやってきたのは長身の老人。藤原と名のり、

地元出身と言った。この村の歴史を聞くと、とうとうと話しだしたが

こんな内容だった。「この村は平安時代の頃からありました。

なんでも都の偉い人の墓が先にできて、その周囲に

人が集まったようです。そして温泉が掘り当てられた。だから歴史は


古いんですが、あんまり宣伝しとらんのですわ」  「それはもったいない。

「ところで、このイ羊温泉というのはどういう意味です?」  「それもよくは
わかりません。なんでもその昔、この道の先、山を超えたところにペルシア人が
住んでたと言われています」  「ペルシア人?」  「まあ、言い伝えですな。
昔は胡人と言っておったらしいです」  「ところで、その集落はまだ

あるんですか?」  「はい、あります」  「そこもこの村なんですよね」  

「まあそうです。2百世帯くらいあるでしょうか」  「あの山の中ですよね。

米作りをしてるんですか?」  「うん・・・いや、あすこは小規模な

鉱山があって、集落のものはみなそこで働いとります。畜生のくせに羽振りは
いいみたいですよ」 畜生?  どういうことだろう? 「じゃあ、食料などは

この村から取り寄せ?」  「いや。それが違うんです。

 

あすこの集落の人はとにかくこの村を嫌ってて、ヘリポートがあるんです。

ヘリで食料や日用品を運んでるみたいです」  「へええ、ヘリ!」

藤原さんは、その集落のことはなんだか話しにくそうだったので話題を変えた。
温泉のことを聞くと「食塩泉です。舐めてみるとしょっぱいくらい塩分が強い」
それから温泉に入ったが、湯は透明だったが、舐めてみるとそのとおりだった。
体が温まった。それから夕食、山芋やきのこを食材にした素朴な鍋で、なかなか
美味しかった。中居さんに「明日の15日は何か行事をやるんですか?」
「ええ、どんど焼きをやります」  「この奥の集落でもやるんですか?」
「ええ。ですがここの真似っ子みたいなもので、行かないほうがいいと思いますよ。
私も生まれてこのかた、行ったことはありません」で、ビールも頼んで

さんざんに飲み、その日は寝た。寝る前に中居さんが羊の頭を

 

木で彫ったものを持ってきて床の間に置いた。あまりに異様だったので、

「それは何ですか?」と聞いたら、「魔除けのようなもんです」

という答え。よく見ると、湾曲した角や、毛の一本一本までが精巧に

彫られていた。15日の夜、どんど焼きに参加したが、どこにでもある

ような形で、真ん中の火を囲んで書き初めを投げ入れたり、火のついた藁束を

振り回したりするものだったが、異様なのは、参加者全員が奇妙なお面を

かぶっていたことだった。鼻面が盛り上がった全体がむくんだような面。

何かににている気がしたが、何だかはよくわからなかった。遠巻きにして

見ていると、顧問の錦田先生が背中をつついた。「なあ、奥の集落に行ってみないか」  「大丈夫ですか?」  「そこでもどんど焼きをやってるんだろう。同じ日本人

なんだし、そんな危ないことはないだろう。民俗学のいい資料になるよ」


ということで、車にいって懐中電灯を取り出し、全員で奥の集落まで歩いた。

街灯はあったのでそこまで暗くない。やがて山を越えて10分ほど歩くと、

ドン、ドンという低い太鼓の音が聞こえてきた。高みから、

下に火が燃えているのが見えた。それを囲んで小柄な人が集まっているが、

だいぶ少ない。100人以下だろう。やっていることは温泉地の

集落とあまり変わりがないようだった。「これは話を聞くのは無理かな。
明日時間があれば訪ねてみようか」 そのとき月が雲間から出て、
集落の集まりを照らし出した。やはり全員が面をかぶっていた。

ただ温泉地とは違って、無表情な人間の面だった。目のところだけが

穴になっていて、そこから瞳がのぞいていた。やがて、火に灯油が入った

ビニル袋が投げ入れられ、炎が高く上がった。一人の女らしいものが赤子を

 

抱いて火に近づいていった。盛んに泣いている。まだ新生児のようだった。

女は火の前で一礼すると、何事かを大きな声で唱えた。それは

「人ではない」というように聞こえた。そして女は勢いをつけて

赤子を焚き火の中に放り込んだ。たちまち大きな泣き声が上がり、

すぐに止んだ。それを丘の上から見ていた仲間の一人が、

「うわあ!」と頓狂な声を上げた。俺も今見たものが信じられなかった。

これは生贄の儀式なのか? 現代の日本でそんなことが。

集まりの人々はその声に気づいたらしく、

いっせいにこちらを見た。そしてかぶっていた面を

とったが、その素顔は温泉地で見た面とそっくりだった。

俺はそのとき、ああ、これは羊だとわかった。