今回はこういうお題でいきます。みなさんはこの映画をご覧になった
ことはあるでしょうか? 今やホラー映画の古典とされており、
現在でも世界の各地でリバイバルされているようです。
監督はトビー・フーパーで、この作品が出世作ですね。徹底した
低予算映画で、俳優は当時ほとんどが無名。制作費は14万ドル以下。
また、フィルムも予算がないために
映画用の35mmが使えず、16mmで撮影して、それを上映用に
引き伸ばしていました。そのために画面は荒く、ノイズが
多かったんですが、それが思わぬ効果を生んでいました。
ただし監督としては、正規フィルムを使いたかったようです。
誰が主人公なのかもわからない

ストーリーは、テキサス州に帰郷した5人の男女が、近隣に住む
人皮のマスクを被った大男「レザーフェイス」に襲われて
殺害されていく話ですが、実際はないも同然で、
ただひたすらショッキングな場面だけが積み重なっていく。
ストーリーを中心に映画ができていくのではなく、画面の寄せ集めが
映画になるといった感じなんですね。ここからは以下に
自分が考えたことを述べていきます。
まず一つ目は、感情移入を拒んでいるところです。犠牲者の5人は
いちおう関係はわかるようになっていますが、それだけのことで
一人ひとりのストーリーというのはありません。
ただの通りすがりの人のような感じです。

ふつうは、犠牲者のキャクターや背景の説明が多少なりともあり、
それで感情移入できるようになるんですが、一切なし。ですから、
映画の最後になるまで、誰が主人公なのかも、
誰が生き残るのかもわからないんです。伏線もありません。
普通は「この人が生き残る」という、何らかの伏線があるものなんですが。
生き残った人は、何か特別なことをしたわけではなく、たまたま
偶然に生き残っただけのように見えます。
次に加害者側のソーヤー一家の異常性ですね。まったく罪悪感を
感じさせないままに人を殺していきます。ためらうような様子も
一切ありません。じつに非人間的なんです。
このことが観客には大きなショックを与えました。おそらくですが、
ソーヤー一家には生と死の区別がついてなかったのではないかと思います。
そのことは、作中にグランマと呼ばれる一家の母親が出てきますが、

すでに死んでミイラになっているのを、生きているもののように
扱っています。また、本作の中で、次男がトラックにはねられて
死にますが、後の続篇ではやはりミイラにされてパペットの
ように扱われています。人が死ぬということを理解してないような感じ。
もしかしたら、牛の屠殺のやり過ぎで生死の感覚が
麻痺しているのかもしれません。

ですから、彼らに命乞いをしても無駄なんですね。獣肉を扱うように
たんたんと屠殺され、フックにかけられ。冷蔵庫に入れられていくんです。
まずそもそも、冒頭に次男が出てきて、ヒッチハイクするんですが、
乗せられた車の中で意味もなく、カミソリで自分の手を切ります。
なんの理由の説明もなし。ここからノンストップで映画は
進んでいくんですね。しかも感情を高めるような音楽もなしで、
響くのは耳障りなチェンソーの音だけ。
正面のじいちゃんは124歳でまだ生きている。

徹底的に映画の文法が破壊されているので、観客としては後が
どうなるかの予測がつきません。これが本作の最大の
成功点でしょうね。ただ嫌なシーンだけが積み上げられていく。
この映画は、元ネタがアメリカで実際にあった殺人鬼エド・ゲインの
話を下敷きにしたものという解説がありましたが、じつはそうではなく、
本作との直接的な影響はなかったが、ある評論家が
エド・ゲイン事件に似通っている部分があると評したことで、
監督は後に事件の存在を知ったとされます。映画冒頭部分のテロップに
「これは真実の物語である」と入れて、少しでも観客の恐怖を煽ろうと
した演出であったと述べています。まあ、そうでしょうねえ。
何か元ネタがあるような話ではないんです。では、今回はこのへんで。
