山田さんは暗い中で目を覚ましました。何か、柔らかなものにもたれて、
座ったまま眠っていたようです。山田さんは57歳の主婦、週に2回、
近くのスーパーにパートに出ています。それにしても、ここはどこだ?
山田さんはなんとか立ち上がりました。部屋の中央に、蛍光の電灯の
吊り下げスイッチのようなものがぼんやりと見えます。そこまで行って
引っぱってみました。カチリと手ごたえがあり明るくなります。
そこは日本間でした。10畳かな? どうやらさっきまでもたれかかって
眠っていたのは襖のようです。萌黄色の地に富士山が描かれた襖。
部屋には何もなく、中央には床の間だけがありました。そこに飾られているのは
能面です。山田さんの目の高さと同じくらいの位置にあり、白いひげが
豊かな老人の面でした。これは何? そしてここはどこ?

夢なのだろうか? それにしてはいやに現実感がある・・・山田さんは襖に
手をかけて静かに引き開けました。やはり同じような日本間のようです。
そこも暗く、歩み寄ってひもを引きました。前の部屋と同じ10畳でしょうか。
やはり調度は何もなく、床の間にはみごとな青磁の壺、かなり大きく、
高さは50cm以上あります。高価なものだろう。持って帰ろうか。しかし、
持ち上げてみるとかなりの重さで、山田さんはすぐにあきらめました。
ここはどこだろう。家人はいるのだろうか? それまでの経緯を思い出そうと
しましたが、頭の中は霧がかかったようで、まったく思い出すことができません。
ただ、もう夜なのだろうと思いました。夕食のしたくをしなくてはならない。
山田さんはまた襖を開け、中央にいって電灯をつけました。やはり日本間、
でも、なんとなく隣の間とは雰囲気が違います。和風ではあるのですが、

少しモダンな感じがしました。床の間には・・・あれは何だ?  奇妙な物体が
神社の三宝のような台にのっています。近くによって、その場違いさに驚きました。
それ、クリームパンだったんです。それもお徳用の大きなもの。なんで
こんなものがあるのか? しかし山田さんにはそれが見覚えのあるような気が
したんです。あれ、これ最近買ったような。でも、どこで?
・・・次の間も日本間したが、やや広く12畳くらいか。そこには押し入れが
ついており、開けてみると上下段とも布団が入っていました。高級そうな
羽毛布団でした。そして床の間、そこにもじつに意外なものがあったんです。
魚の・・・おそらくサバの切り身、発泡スチロールのパックに入ってラップが
かけられていました。これも見覚えがある。最近カゴに入れた。え?
カゴって何だ? 山田さんはまた襖を開け、予想どおりそこも日本間でした。

床の間にあったのはベーコン20枚入りのパック、しかもラップには値引きの
シールまでついていました。山田さんは混乱しました。進む方向が悪いのだろうか?
山田さんは走って最初の部屋にまで戻り、反対側の襖を開けました。やはり
日本間です。いったいどれだけの部屋があるんだろう? 誰のお屋敷なんだろう?
わけがわかりません、そして次の間、やはり日本間でしたが、床の間には
三宝に載った空色の財布がありました。それは山田さんがふだん使っているものと
そっくりです。中を確かめてみました。銀行のカードや病院の診察券。間違いなく
自分のものです。意を決し、山田さんはそれを取ると自分の普段着のポケットに
突っ込みました。そのとき、着ていた空色のパーカーの腹部に、黒いものが
ついているのに気がついたんです。その分部分をつまみ上げ、目に近づけてみました。
これは血? でもどうして、私はケガなんかしてないのに。さらに襖を開けると、

そこは仏間でした。壁の一面の半分に巨大な仏壇があったんです。見事な黒檀の
仏壇。しかし表扉は閉じられており、山田さんは両手で引き開けてみました。
ゴロリ、大きなものが転げ落ちてきました。人です。両目をかっと見開き、
頭の部分に血がこびりついています。それは・・・夫でした。山田さんは
「キャッ!」と悲鳴を上げました。山田さんの夫はひと目で亡くなっているように
見えました。そしてそのとき、山田さんは目を覚ましたんです。電車の中でした。
帰宅ラッシュ時ですが、山田さんの家は郊外だったのでそれほど混んではいません。
どうして私は電車に乗っているのだろう? そうだ、スーパーに買い物に出たの

だった。しかしそのときは夫の車で行ったはず。そのとき山田さんの目に電車の

中吊り広告が目に入りました。「倉敷~尾道 旧家巡り」そして岡の上の大きな
旧家の写真。黒塀の外には多数の桜の木が見え、花が満開に咲いていました。

ああ、これを見て、あんな夢を見たのか? でも、夫の死体はどうして?
そのとき、電車の車両間の戸が開いて、鉄道警察官らしい人と、2人の
目つきの鋭い私服の男たちが入ってきたんです。そして山田さんはすべてを
思い出しました。そうだ、夫とスーパーに買い物に行ったんだった。そして
駐車場でちょっとしたことで口論になり、怒って夫を突き飛ばした。
夫は仰向けに倒れて車のボンネット後頭部をぶつけて動かなくなった。
怖くなった山田さんは、夫の上半身を足で車の下に押し込み、それから
走って駅まで逃げてきたんだった。そうだ、それで電車に乗っているんだ。
男たちはまっすぐに山田さんのところに近づき、手帳を出してこう言ったんです。
「山田〇〇さんですね。先ほど、ご主人がスーパーの駐車場で亡くなって

いるのが確認されました。ご一緒に買い物に行かれてましたね。

事情をお聞ききしたいので、署までご同行願います」