俺は田村って言うんだけど、今から話すのはもうずっと昔のことだ。
近所に・・・といっても、500m以上離れてたが、奇根堂という店があった。
骨董屋みたいな名前だが、そうじゃなくて漢方薬の店だ。
地域では人参屋さんと呼ばれてたな。朝鮮人参の人参だよ。
でな、この店は表通りにあったが、裏は100mほどのところに川が
流れてた。でな、家から川原までずっとが薬草畑だったんだよ。いろんな
薬草が植えられてて、中には小さなビニールハウスもあった。薪をたいて
温めてるんだ。で、それらの植物は、外国から取り寄せたのもあったが、
たいがいはそこのじいさんが全国の山で採ってきたもんだ。それを
栽培して店で売る。まあ中には気候や土が合わなくて育たないものもあったが、
ほとんどは上手に茂らせていたな。で、ここのじいさんの名前は喜八と言って、

もう店の主人は息子にゆずって自分は隠居してたな。だけど足腰は達者で、
70歳を過ぎても山歩きは何でもなかった。この喜八さんは昭和47年に
卒中で死んだが、それまではピンシャンしてて、山に行かないときは店の
奥に座って膝上に毛布をかけて店番をしてたよ。うつらうつらしていることも
あった。でな、子ども自分の俺はこの喜八さんが好きで、学校帰りなんか
ランドセルを背負ったままよく遊びに行ったもんだ。すると喜八さんはお茶と
醤油せんべいを出してくれてな。そのあと、上がりかまちに座った俺に、
よく山で経験した不思議なことを話してくれてたんだよ。懐かしいな、もう
50年以上も前になるのか。だから喜八さんが死んだって聞いたときには
ずいぶん悲しかった。で、今からするのはそのときの話のいくつかなんだよ。
最初は未生茸というきのこの話だ。それは乾かして粉末にして店でも売ってた。

未生茸
岩手県と秋田県の境に、そこらあたりだけで生える未生茸というきのこがあってな。
これがとれるのは秋深くだ。11月の中旬ころ。わしはその生息地をよく知ってて、
その時期には毎年泊りがけでそこらの山に出かけていたんだ。若い頃の話だよ。
今も店にはあるが、それらはすべて栽培ものだ。わしは当時の田沢湖町の商人宿に
泊まって、毎日山に入ってた。腰にかごをつけて収穫物はそれに入れる。薬草の
ハシリドコロや柴胡なんかだな。そしてだんだんに未生茸の生息地に

近づいていった。そのあたりは雑木林で、紅葉は終わりかけてて、

地面にはいろんな色の木の葉が落ちてて、そりゃきれいだった。

最初の一本を見つけたのは大きな赤松の根元だ。そしてすぐ次の一本。

ありゃ、あっちにもこっちにもある。わしは夢中になって未生茸を

かごに入れてったんだよ。そして少しずつ山の奥に入っていった。道のない


山中だったが、迷わない自信はあった。で、未生茸はまだまだあったが、これ以上

遅くなると日が暮れてしまう。もう戻らなければ、次の一本を最後にしよう。
そう思って木の裏側に回ると、一本の未生茸があった。近づいていくと小さく
キイキイという音が聞こえたんだよ。なんだろう、空耳かな。そう思って未生茸に
手を伸ばすと、なんとそのきのこ、薄いピンクのかさを両手で脱いで体の前に

したんだ。驚いてよく見ると、それは小さい男で、木の皮の着物を着てた。

そしてわしに「助けておくれよ。俺は仲間内で外れものにされて、

足首から下を土に埋められちまった」こう言ったんだよ。その男は

10cm以下だなあ。柔和な顔で怖い感じはしなかった。年齢はわからないが

年寄りではなかった。で、わしは「うむ」と言い、これも人助けと思って

落ちていた木の枝で男の足元を慎重に掘ると、男はかさをかぶり直して

 

「恩に着る。礼はするぞ」そう言って走って逃げていったんだよ。まあでもな、

わしはそのとき、幻覚を見たんだと思っていた。未生茸の胞子を吸うと、

幻覚を見ることがあると知ってたんだ。で、わしは明るいうちに山を降りた。

翌日も晴れだったので山に入った。昨日の未生茸の群生地に行ったんだが、

あれほどあった未生茸がすっかりなくなってたんだよ。いやいや、場所を間違えた

わけじゃない。だってそこここに土を掘り返して指先ほど黒くなったあとが

残ってたからだ。で、最初の一本を見つけた赤松の根元に、蕗の葉が一枚

広がってて、そこに米粒大の砂金が積み上げられてたんだよ。ありゃ、これが礼か? 

と思った。砂金は売ってしまったが、当時の金で20万円ほどになっったよ。

その金を使って裏の畑を少し広げたんだよ。未生茸が栽培されるように

なってからは、もうおかしなことは一度もなかったがな。

早贄
これも秋のことだが、山ではなく草はらの話だ。場所は九州のほう、

阿蘇山が見えるあたりだ。そのあたりは馬の放牧なんかもやってた。

「夏の風 山よりきたり 三百の 牧の若駒 耳ふかれけり」

与謝野晶子の歌だ。まあそのときは秋だったがな。
わしはその草原に入って薬草を摘んでたんだ。九州にしか生えないものだよ。
午前中ずっとそれをやって、背中に背負ったかごはもういっぱいになりかけてた。
わしは草はらの柵にもたれて座り、一休みしてたんだが、

近くから蚊のなくようなか細い声が聞こえる。気のせいかと思ったが、

立って見に行くと、柵にした木の枝の小枝をはらって鋭くなった部分に

小人が刺さっていたんだよ。腹のど真ん中を木の枝が貫いている。

「これは・・・」と思った、そしたらその小人はわずかに目を開けると、

 

「俺はもう助からん。モズの早贄にされた。後生だから介錯してくれ。たのむ」

と言ったんだよ。どうしようか迷っていると、小人は「この血を見ろ! 
痛くて、喉が乾いてならん」とうめいた。見ると木の枝を伝って赤黒い血が

下まで流れ落ちていた。これはいかんと思ったが、人間の病院に

連れて行くわけにもいかないだろ。それでな、小刀を抜いて小人の首筋を

ピッと切ってやったんだよ。どっと血が流れて小人は息絶えたようだったが、

血の出方が少なかったのは、もうだいぶ流れてたからだろう。そいつの

死骸は下の土に落として深く埋めてやったよ。でな、その小人、前に東北で
見たものと同じ仲間だと思った。あのときと同じ色のかさをかぶってたんだよ。
そのとき、ああ、この仲間は全国にいるんだなあと思ったよ。このときは誰にも
見られなかったからか、礼をされるということはなかったなあ。


武士
これは山ではなく、この店で起きたことだよ。冬場の6時前くらいだったなあ。
もうすっかり暗くなってて、店じまいしようと思ったんだ。

表戸と雨戸を閉めてかんぬきをかける。それからは

その日の売上の勘定だ。そのとき、表戸から
ぬっと入ってきたものがいたんだよ。顔を上げて見て驚いた。

それ、武士だったんだよ。黒い羽織を着ていてちょんまげ頭。

侍は一言「瞑目湯」とだけ言い、金を出してきた。それがなんと

小判だったんだよ。もちろんそのときは本物かどうかはわからなかったが、
ずっしりした重さはあった。ただ、瞑目湯というのは気になった。これを大量に
服用すれば命にかかわることがあるんだよ。未生茸が原料に使われている。

「何にお使いで?」と聞くと、武士は少し首をかしげたが、「殿の御命で」と

 

それだけ言った。警察に連絡しようと近くにあった黒電話の受話器を

取り上げたが、武士が刀の柄に手をかけたので、連絡はできなかった。

侍は薬の袋を受け取ると「かたじけない」と帰っていき、

店の入口からのぞいたが人の姿はなく、街灯が灯っているだけ。
まあ、これだけの話なんだが、小判は後で専門店に見てもらったら本物だった。
江戸中期頃のものらしい。それにしても不思議だよな。このあたりに
時の抜け穴があって、それをくぐって来たものなのか?

それにあの薬、いったい何に使ったんだろうか? 

これはな、帳簿につけないで劇薬を売ったということで、後で問題に

なり、店は営業停止処分を受けたが、それでも小判のほうが金にはなった。
・・・この商売を続けてると、こういうことがたまにあるんだよ。