これ、俺が子どもの頃に父方の実家に行ったとき、当時80歳を
過ぎていたじいちゃんから聞いた話。ただし、じいちゃんの体験ではなく、
じいちゃんが子どもの頃にそのじいちゃんから聞いたって言うんだ。
だから今からすれば、大正時代、あるいは明治の頃のことかも
しれないんだ。まあ今から話していくよ。その日は夏で、じいちゃんの
じいちゃん(以下、面倒なのでじいちゃんで統一する)が
檀家になっているお寺の境内で遊んでいたそうだ。この寺の住職は
子どもが好きで、境内に入り込んでも怒ることはなく、
むしろ喜んでいたそうだ。ただ、境内で虫取りや魚取りなどの殺生を
することは禁じられていたそうだけどな。じいちゃんは8歳で、
地面に石で絵を描いて遊んでいると、寺の庫裏のほうから一人の

網代笠をかぶった坊さまが出てきたんだが、ずいぶん齢をとっていて
足取りもよろよろしていたそうだ。そしてじいちゃんの横を通ったとき、
がくんと片方の膝を折り、地面に両手をついた。驚いたじいちゃんが
駆け寄ると、坊さまは「おお、よいところにいた。すまんが手を取って
庫裏まで連れて行ってくれんか」と頼んだんだそうだ。
急に体を悪くしたんだと思う。そこでじいちゃんは坊さまに肩を貸し、
庫裏まで連れて行ったら、「ありがとう」と言って坊さまはまた
中に入っていった。「無事だといいいな」と思いながらじいちゃんは
遊びに戻ったが、小1時間ほどしてその坊さまはまた出てきた。今度は
元気でにこにこしており、境内にいるじいさんを見ると「おお、まだ
おったか。さっきはありがとうな。急に陽射しにあったんで

目がくらんだのよ。手を貸してもろうて助かった。絵を描いていたな。
そうだ、これをやろう」坊さまは袖の中から一個の白い半透明の石を
取り出した。「これは蝋石だが、特別なものだ。お前にやろう。
これで平らな壁のところに四角を描くがよい。お前の背丈よりも
大きくな。そうすればそこが扉になる。そして扉は開けることができる。
そうすると提灯衆の世界に出る。もしも中の世界が昼ならば入ってもよい。
だが、夜だったら入るのはやめろ。描いた扉の線を消して、あとで
別の場所でもう一度試してみればよい。中には人に見えるものがいるが
人ではない。入っていけばお前を歓迎してくれるだろうし、食べ物を
ごちそうしてくれる。それは食べてもよい。毒ではないはずだ。
だが、ここが肝要だ。お前は日が暮れる前に元のこの世界に帰って

こなければいかん。日が暮れると提灯衆は豹変するからだ。だから
そうなる前に戻らねばいかん。なに、もとの扉を戻る必要はない。
その蝋石で描けば、また扉はできるからな。わかったかな」じいちゃんは
よくわからなかったが、その場の勢いでうなづいてしまった。坊さまは
じいちゃんの頭をなでると、錫杖を鳴らして行ってしまったそうだ。
じいちゃんは自分の手の中にある蝋石を見つめた。それは陽気のせいか
少し暖かかったそうだ。・・・その時点で午後の3時ころ。じいちゃんは
家に戻り、作業小屋の陰に行ってその板壁に、自分の背丈を超える
ふすまほどの長方形を描いたそうだ。すると・・・それはいつの間にか
引き戸に変わっていたんだそうだ。じいちゃんは手のひらを板に押し当て、
ゆっくりとずらした。開いだ。頭を入れて中をのぞくと、どうやら蔵のような

場所の外に出た。庭になっていて、低い生垣の外は通りのようだ。
明るいなら大丈夫だろう、そう考えたじいちゃんは中に一歩を踏み出したそうだ。
生垣をこえて通りに出ると、人が何人か集まってきた。女と子どもが多かった
そうだ。服装は元の世界とほとんど変わらなかったらしい。ただ違うのは、
その人たちの顔の、口の両側に線のようなものがあることだけだった。
その線は子どもにもあった。女の一人が言った。「あれまあ、珍しい。これは
人間の子どもだよ。坊や、どうやってここに来た?」そう聞かれたが、
うまく説明できず、じいちゃんは首をかしげただけだった。それからじいちゃんは
通りの茶屋のようなところに連れて行かれ、串団子を一皿と甘酒のような
飲み物を出された。ひじょうに甘く美味だった。そしてその場にいた男の子が
布を張った桶を持ち出してきた。これはベーゴマの台座にするものだ。

じいちゃんはベーゴマは得意だったので、その子のものを借りて遊んだ。
じいちゃんの投げたベーゴマがその子のものにぶつかって弾き出すと、
その子は少し悔しそうな顔をしてじいちゃんにコマを渡してよこした。
じいちゃんは「もともとおめえのもんだからいいよ」と言ったが、その子は
「いいから取っとけ」そう言ってコマをじいちゃんに押しつけてよこした。
女の子らはそのまわりを取り巻いて見ていた。そうして2時間ほども
遊んだだろうか。だんだん日が陰ってきた。沈みかけているんだと思った、
もう帰らなきゃいけない。そう思っていると、30歳ばかりの女が来て、
じいちゃんに「夕飯の支度ができたから食っていけ。ごちそうだぞ。
鯛も出るぞ」と言った。このときじいちゃんは坊さまの言葉を思い出した。
「日が暮れる前に戻らねばいかん」だからじいちゃんは惜しいと思ったが、

「いいです。暗くなる前に帰らないといけないから」しかし女はじいちゃんの
着物の肩をつかんで「鮭なますもあるぞ、玉子の焼いたのもある。食っていけよう」
と言い、子どもたちもみなうなずいた。「せっかく用意したけえ」
急に怖くなったじいちゃんは肩をゆすって女の手をふりほどいた。「帰ります!」
そう言って生垣を飛び越えて最初の蔵の陰に回ろうとしたんだ。
そのとき、最後の日の光が山の端に消えた。ぐんと闇の濃さが増した。
その途端、提灯衆の顎ががくんと、破れた提灯のように伸びた。口の横の

線からだった。顔の長さは2尺(60cm)ほどになり、子どもでも1尺以上は

あった。それらはだらだらとよだれを垂らしながらじいちゃんを追いかけてきた。

蔵の陰の暗がりに入ったじいちゃんは急いでそこに長方形を描いた。
・・・扉になった。じいちゃんは開け、中に飛び込むと後ろ手にぴしゃりと閉めた。

じいちゃんが転がり出たのは少し実りかけた田んぼの中だった。まわりはまだ
少し明るい。そこは小屋の近くの田んぼで、自分の家も見えた。
元の世界に戻ったのだ。じいちゃんは腹のところに異物感を覚えた。
出してみるとそれはベーゴマだった。あの世界でもらったものだ。そして
手には半分ほどにすり減った蝋石を握っていた。