今回はこういうお題でいきます。何から書きましょうかね。
まずは人員構成からいきましょうか。これは時期によって違うんですが、
最盛期は3000人、少なくとも1000人はいたはずです。

その頂点に立つのは御台所ですね。将軍の正妻です。そして
側室、これは将軍によりますが、数人から数十人。とにかく
跡継ぎの男児を得ることが大事なので、重要な役目でした。

その下が奥女中ですが、お目見え、つまり将軍に目通りできるものが
80名以上、お目見え以下の下級のお女中は100名程度。
上級女中は個人的に補佐役を雇うことができ、これが数百名。
あと雑務をする男性職員が少数いました。

 



上級の奥女中は上臈御年寄、御年寄、御中臈・・・これは将軍の身辺の
世話をする側室の候補です。給金は上臈御年寄で約3000万円。

こうしてみると、人数が多かったのは、
上級女中が個人として雇っていた下働きの女中なんですね。

部屋方という名前でした。大奥の正式な一員である奥女中は
一生奉公、つまり宿下がりして実家に帰ることはまずできません
でしたが、部屋方はそうではありません。

多くは商家や農民の娘が行儀見習いとして来ているものなので、
春秋2回を基本に、病気などになれば簡単に実家に戻ることができました。
このものたちが将軍の目に触れることはありません。

 



奥女中で最も身分が低いものは、掃除や雑用をする御末(おすえ)と
呼ばれますが、このものたちでも奉公に上がって3年目に
やっと年6日間の宿下がりが認められるだけでした。
6年目は12日間、9年目に16日間。

ですから、奥女中になるには、一生を大奥で過ごす覚悟が必要でした。
このように厳しい大奥ですが、寺社仏閣への参詣には比較的
寛大でした。庶民のお伊勢参りなどもそうですが、
信仰上大事にされていたんです。

特に、「御代参」は将軍の代わりにお参りする仕事の一環でした。
ですからどうどうと外出できたわけです。そしてそのときに
内々に芝居見物することもありました。

 



以前書いた「江島事件」の背景はこのような感じだったんです。
ただし、御台所の御代参につき従ったり、独自にできるのはごく少数で、
ほとんどの奥女中は毎日同じことのくりかえしの毎日だったんです。

ただし、そのかわりというか、年中行事は多かったんです。
正月の行事から始まり、初午、花見、灌仏会、七夕・・・二十四節気に

合わせたさまざまな行事で気をまぎらしていたんです。

 

大奥の花見



みなさんだったらはたして耐えられるでしょうか。大奥には
いじめもありましたし、新参いびりのようなこともありました。
「新参舞」は有名ですね。

年越し(31日)の夜(一説には節分の夜)、その年に採用になった
新参の御末、おそらく10数名が、裸になって御年寄の前で
踊るものです。陰から御台所が覗くこともあったといいます。

これはかつて、体に刺青をしていた新参者がいて大騒ぎになった
ことから、検査のためという理由がついていますが、
ストレス発散の意味もあったのではと思われます。

次回は将軍の夜の生活に入ります。では、今回はこのへんで。

 

大奥の構成人員(クリックで拡大できます)