今回はこういうお題でいきます。まず、江戸時代の戯作者とは
どういう存在であったか? まず、書く話のタイプが違っていました。
洒落本は遊郭を舞台にした洒脱な読み物(例 山東京伝)。
滑稽本は、笑いを誘う庶民の生活描写(例 式亭三馬、十返舎一九)。
人情本は、恋愛や人間模様を描くもの(例 為永春水)。
読本は、長編の冒険・伝奇小説(例 曲亭馬琴)など。
では、江戸の民衆にとってはどういう存在だったか?
庶民からは人気のある娯楽の担い手として親しまれつつも、為政者など
からは軽視や警戒の対象にもなっていました。
山東京伝

まあ、山東京伝などは庶民から、粋で格好のよい存在として見られて
いましたし、歌舞伎役者や大相の力士と並んで、
庶民のヒーローだったんです。
ただし、幕府からは弾圧されました。政治風刺や風俗描写が
「風紀を乱す」とされ、山東京伝らが処罰されています。
一種のアウトロー、反抗者的な側面もあったわけです。
ただ、やはり創作者です。その作品を生み出す苦しみはつきまといました。
山東京伝はその作品『作者胎内十月図』の中で、執筆の苦しみを妊娠に例え、
構想が浮かばず茶ばかり飲む様子を「急須の顔をした守本尊」と書いています。
晩年、盲目になり口述筆記する馬琴

次、戯作者の収入はどのくらいだったか? これは人により、その契約により
さまざまだったと考えられます。現代との大きな違いは、印税収入が
ないことで、どれほど作品が売れても収入は変わらなかったんです。
具体的には、山東京伝の作品が初めて売れたとき、原稿料は3作品で
2両にも満たないものでした。現代のお金で15万円くらいでしょうか。
ちなみに京伝は、はじめて原稿料を受けとった作家と言われます。
曲亭馬琴は『南総里見八犬伝』などで、大ベストセラー作家でしたが、
年間の収入は500万~700万程度と考えられています。
現代の作家、漫画家などに比べればだいぶ低いですよね。
十返舎一九

また、宴席や郭に版元から招待されることで、原稿料の代わりになる
場合も多かったようです。絹・縮緬などの品物で報酬を受けることもあり、
金銭での支払いは少なかったようです。ほとんど創作の喜びだけで
やっていたようなもんですね。
戯作者が洒落に命をかけていたのは、やはり大ベストセラー作家の
十辺舎一九のエピソードでもわかります。彼は67歳と、当時としては
高齢で死去しましたが、死の直前、
自分が死んだら湯灌(遺体を洗い清めること)をしないで、そのまま
棺におさめるよう遺言しました。そして、自分が生前から大事にしていた
ものを収めた箱をかたわらに置いてくれとも。
式亭三馬

葬式の参列者は一九の死をたいへん悲しんでいました。火葬場について
かまどの火がついた途端、轟音とともに火花が飛散したんです。
箱の中に大量の花火を仕込んであったんです。辞世の句は、
「この世をば どりゃおいとまに せん香の 煙とともに 灰さようなら」
「おいとまに」と「せん」をかけ、「灰さようなら」で締められています。
これは実際にあったエピソードのようで、戯作者が
世間にどう見られるかを気にしていたかがわかりますね。では、このへんで。
