江戸の版元
今回の江戸学は出版文化についてのお話です。江戸時代の日本は
きわめてたくさんの出版物が出され、おそらく世界一だったでしょう。
これはそれだけ教養層が多く、識字率が高かったからです。
出版される本の点数が爆発的に増えたのは江戸の元禄時代1688年~)
からです。ただし、この時代の出版の中心地は京都でした。
「京都十哲」と呼ばれた10の出版社だけで、全体の30%を占め、
江戸にも支店を持っていました。
江戸の本は非常に高価でした。これは文章と挿絵をそれぞれ別の
作者に注文しなければならないからです。挿絵はほとんどの本に
入っており、そのよし悪しが本の人気を決めました。

さらに、いちいち木の活字を彫って組まなくてはなりません。
ということで、一冊が現在のお金で数十万円になるものもあったんです。
これでは庶民は手が出ませんよね。
それでも、多数の本が出版されているのは、貸本屋が発達していた
からです。多くの本は何巻にも分かれており、前の巻を読み終わる頃に
貸本屋が背中にしょって次の巻を持ってきてくれました。
この形態が通常の形だったんです。貸本料は数十文です。
ですから出版点数は300~600部くらいで、2000部も刷れば
大ベストセラーでした。この時代の知識人は知識の量を競い合う
ことが多く、漢籍なども含め、大量の本を読んでいました。

人気が高かった本は、松尾芭蕉の『奥の細道』を始め、連歌や狂歌、
川柳の本、井原西鶴の『好色一代女』や『世間胸算用』、近松門左衛門の
『曽根崎心中』『心中天網島』、
さらに国性爺合戦』などの時代物、山東京伝や恋川春町などの洒落本、
諸国の怪異や奇談を集めた浮世草子、その他、金魚や朝顔の育て方、
健康本、農業本、グルメ本、学問書などなど。
元禄時代だけでなんと1万点もの本が出版されたと言われています。
幕末には寺子屋の教科書だけで7000点以上。
その中でも特に売れたのが、儒学者だった貝原益軒の『養生訓』。
貝原益軒

健康増進のノウハウを書いた本で、現在でも「腹八分目」などの
言葉が残っていますが、何よりも宣伝になったのは、
益軒自身が83歳まで生きたことで、当時の寿命が40歳程度で
あったことを考えると、これは驚異の年齢です。
貝原益軒は京都で若い頃に学んでいて、京都の本屋の専属になって、
そこから出版していたようです。この他、幕末に大ヒットしたのが
滝沢馬琴の『南総里見八犬伝』で、
中国の『水滸伝』を範とした伝奇小説なんですが、全98巻106冊
という大作で、新しい巻が出るたびに江戸中の評判を呼びました。
今で言えば、人気漫画のコミックス発売のようなものです。

販売部数についての正確な記録は残っていませんが、当時の読本は発行部数も
少なかったため、貸本の回数はすごかったでしょう。馬琴自身も、
「吾を知る者はそれただ八犬伝か、吾を知らざる者もそれただ八犬伝か」
と語っており、当時の人気ぶりがうかがえます。
ちなみに、馬琴はこの作品の執筆中に失明し、晩年は息子の嫁 お路の
口述筆記によって物語を完成させたというエピソードも有名です。
まあだいたいこんなところでしょうか。では、今回はこのへんで。
