今回はこういうお題でいきます。うーん、これでどんなことが書けますかね。
古い話になりますが、1985年に墜落した日航機の災害現場は
御巣鷹の尾根でしたよね。あれはもともと、
鷹狩り用の鷹を手に入れるための場所だったんです。
ところが、長い時が過ぎて入るための道が失われ、そのため
救助の自衛隊員などはだいぶ苦労をしたと言われています。
こういう場所は「お止めの山」として庶人の入山は禁じられており、
いわゆる「禁足地」として、数々の伝説のもとになりましたが、
実態はそういうものが多かったんです。

鷹狩りは、権力の象徴として古代から支配者の間で行われていました。
また、鷹狩りを行う土地の行政官を視察する意味もあり、
政治的な意味を持つ重要な行事でした。将軍や大名が鷹狩りを行うことで、
軍事訓練の一環としての役割も果たしていました。
鷹狩りは訓練した鷹を使用し、鷹匠が鷹を放ち、野鳥(鴨、雁、鶴など)や
小動物を捕らえさせます。獲物は鷹匠が回収し、将軍や主君に献上します。
例えば、鶴は御三家に、鴨や雁は下位の大名に贈られたそうです。
江戸幕府を開いた徳川家康も鷹狩りが大好きで、各藩の大名の間でも
流行していました。これとは逆に、キツネ狩りは下火になってしまいましたが、
これはキツネを射る矢を外した部下が面目を失うなどの
ことがあったからです。
ところが、五代綱吉の頃になって、いわゆる「生類憐みの令」の影響で、
鷹狩りも中断することになってしまいました。
これを綱吉の死後解禁したのが八代吉宗。

また、各大名には領地の他に鷹狩りをする場が与えられ、どこを
拝領するかが各大名の優劣を表していました。一種のステイタスに
なっていたんですね。
江戸近郊の品川、中野、葛西、目黒などには将軍が鷹狩りする
「御拳場 おこぶしば」があり、その外側を取り巻くように
各大名や旗本名家に与えられた拝領鷹場がありました。
落語の「目黒のサンマ」はここに鷹狩りに来た殿様が、近くの農家から
焼きたてのサンマを徴用し、ふだんは毒見だのなんだので冷めた
サンマを食っていた殿様が、海から遠い目黒の山奥を
「サンマは目黒にかぎる」と褒めたという話です。

徳川御三家や、御三卿、江戸以前から家康の家来であったような名家は
江戸から5~10里以内に鷹場を拝領していましたし、
鷹匠や用具を下賜されたりしていました。
また、前田家や伊達家と行った大大名も江戸周辺の鷹場が与えられ、
参勤交代中も鷹狩りをする権限も付与されていました。
ですから、もし鷹狩りが好きでなかったとしても、やらないわけには
いかなかったんですね。
鷹狩りの様子

その他の小大名は、自分の領国に鷹場を持っていることが多かったんです。
そして、家臣が鷹狩りすることを禁じていました。
江戸城で、各大名が控えている場では、鷹狩りの話題なども
出ていたかもしれません。
この鷹狩りの他にも、将軍は各大名にときおり名刀や有名な茶器を
与え、それがステイタスシンボルとなったわけです。
ですからもし失われたりしたら大変で、よく時代小説の題材に
なっていますね。
まあ、だいたいこんなところでしょうか。江戸幕府の将軍は、
武力以外にも、こういった面や、いろいろな普請などを言いつけることで、
多方面から各大名家を支配していたんですね。では、今回はこのへんで。
