俺は田辺っていって、あるテレビ番組制作会社でアシスタント・ディレクターを
やってる。名前だけ聞くとたいそうな仕事のようだが、実態は何でも屋だ。
雑用係のほうが合ってるかな。その日、ある番組のロケがあって、その打ち上げの
会で飲んだ。2次会、3次会まで行って、11時を過ぎて終電を逃しちまった。
まあサウナとかに泊まってもよかったんだが、着替えをしてなかったんで、
部屋に戻ろうと思って線路沿いの道を歩いたんだ。駅4つ分なので40分くらい
かかる。最後の駅から部屋までは15分くらいか。つまり1時間以上の歩きだ。
だが、季節は6月で晴れてて風も気持ちのいい夜だったんで、それほど
苦痛ではなかった。むしろ酔いが覚めてよかった。でな、駅のところで
道をそれて、わずかな駅前の繁華街を過ぎるとずっと住宅地になってた。
時間は12時をとうに過ぎて、通行人はいないし通る車もない。
でな、あと5分くらいで部屋のあるアパートに着くってときに、道の向こうの
暗闇に顔が浮いてたんだよ。50代くらいのハゲ頭の顔。ぎょっとした。
幽霊じゃないかと思ったが、近づくにつれてそうじゃないことがわかった。
その人、真っ黒な和服・・・衣みたいなものを着てたんだよ。それが
闇に溶け込んで顔だけが浮かんでるように見えたんだな。なんだ、と思った。
それにしても、こんな夜中に坊さんが何をやってるんだろう?
疑問に思った。するとすれ違うときにその坊さんがぼそっと。「こんな
夜中に坊主が出歩いてるのはおかしいと思ったか?」と言ったんだ。
最初は自分が言われたとは思わなかった。しかし、坊さんはこっちの顔を
見てるんで、「はい」とだけ答えた。坊さんは「そうか」と言い。続けて
「今日は蒙帖月なんで、温めなおしてるんだよ」意味がわからなかった。
それで「温めなおすって、何をですか?」と聞いてしまったんだ。すると坊さんは
空にかかる冴え冴えとした満月を指差し「こんな夜は、あちこちの霊魂の無念を
温めなおすのが拙僧の仕事でな」と言い、「意味がわかりません」と答えると、
「ついてくるか、見せてやるから」と。こんな時間に知らない人についていくのも
どうかと思ったが、坊さんなんだから手荒なこともないだろうと思ったし、
もしかしたら番組づくりの題材になるかもしれないと考えたんだ。
プロデューサーに進言して採用されれば俺の手柄になる。それで「お願いします」
って言ったんだよ。衣の袖を振って、坊さんはついてこいという仕草をし、
俺は坊さんの後に続いた。俺の部屋とは反対の方角だったが、その頃には
酔いもすっかり覚めていた。それから10分ほどして着いたのは家2軒分
くらいの小さな児童公園。坊さんはその入口で立ち止まって手を合わせ、
何かを読み上げるような口調で「74年前、ここで14歳の女の子が暴行を受けて
亡くなっている」74年前というと昭和20年代か? 終戦直後だ。
坊さんは続けて「犯人は当時日本を占領していたアメリカ兵ではないかと
言われていたが、はっきりとはわかっていない。今夜はその娘の怨念を温めなおす」
何を言っているのかますますわからなくなった。怨念?? どういうことだ?
ここで俺は頭がおかしい人じゃないかと疑った。坊さんはそんな俺の気持ちを
察したかのように笑い「74年前、ここは公園ではなくて空き地だった。
まわりはバラックの小屋だけでな」そして公園の数少ない遊具の中のブランコを
指差し、それから合掌してお経のようなものを唱え始めた。2分、3分・・・
すると誰も乗ってないブランコが少しずつ揺れ始めたんだよ。キーキーキー、
油を差してないようできしみ音がした。そしてブランコの揺れは
だんだんに激しくなり、かなりの高さにまで上がった。そして・・・ブランコの
上にぼんやり人の姿が見えてきたんだよ。昔のセーラー服を着た女の子だと
思った。お下げ髪で、鼻の下が血で汚れていた。殴られて鼻血を出したのだろうか。
月明かりで、制服のところどころが裂けているように見えた。俺は怖いのも忘れて
その姿を見ていると、坊さんが「これでいい、行くぞ」と言った。
次に向かったのは住宅地の奥の通りの突き当りの家、道には車止めがあって、
その奥には入れないようになっている。低い生け垣になっている庭があり、
坊さんはその中を覗き込むようにしてまたお教を唱え始めた。すると・・・その
庭の中にいつのまにか婆さんが立っていたんだよ。やはり古風な和服を着た、
ひっつめ髪のばあさんだった。「今井サキエさんだよ。57年前、ここの家で嫁に
階段から突き落とされて死んだ、頭の打ち所が悪かったんだが、嫁は罪にならず、
婆さんの死は事故として処理された。まあその嫁も今は死んでいるがな」
婆さんは道に立っている俺たちに気がついた様子もなく、家のほうをにらんで
黙って庭に立っていた。その姿はよく見ると半透明だった。俺は我慢ができず
坊さんに「何をやってるんですか? あの人たちは何です?」と聞いたんだよ。
そしたら坊さんは「だから、幽霊を温めなおしてるんだよ。いいか、幽霊ってのは
望まない死に方をした者たちだ。この世に怨念が残っていて成仏できない。だから
ときどきこうやって、怨念を呼び戻さないといけないんだ」 「何のために?」
「それは早く成仏させるためだ。いいか、幽霊というのは年月がたつと
だんだんに姿が見えなくなる。しかしそれで怨念が消えるわけじゃない。だから
こうやってそれを呼び起こしてるんだ。そのほうが早く成仏できる。まあ、
この界隈では風もないのに揺れるブランコなんて怪談話が出てくるかもしれんが」
坊さんはそう言って笑った。・・・つまり、幽霊は時間がたてばたつほど姿が
見えにくくなる。しかしそれは消えたわけじゃなく、その土地のしこりとなって
残るんだ。そして時には交通事故の原因になったりもする。それを活性化させて
るんだな。結局はそのほうが早く成仏するということらしい・・・
こうして俺たちは何件も何件も、昔の幽霊を掘り起こして姿が見えるようにした。
それからもう4体の幽霊を温めなおした。「こんな平和そうな住宅地でも幽霊って
いるもんですね」俺がそう言うと、坊さんは「まあな。住宅地だからって
平和に死んだ人ばかりじゃない。だが、今は病院で死ぬ人のほうが多いから、
もういるのは古い幽霊ばかりだけどな」 「幽霊って、成仏するまでにどのくらい
かかるんですか?」 「まあ、その怨念の強さにもよるが、だいたい150年から
200年と言われてるな」・・・そうしているうち、だんだん朝になり、
あたりが明るくなってきた。「うん、そろそろ今夜の仕事は終わりだ。
もう月も見えなくなる。あんたにはつき合わせて悪かったな。今日も仕事が
あるんだろう」 「まあそうですが、午後2時からなので一眠りできますよ」
「それならよいが」そのとき、遠くに見える低い山の端から一筋の明かりが
差し込んできた。坊さんの姿がはっきり見えたが、その衣はやはり漆黒の色を
していた。坊さんは「もう時間だ。さらば」と俺に向かって言い、大きく両手を
伸ばして衣を広げた。そしてその瞬間、坊さんは何十羽ものカラスになり、
カラスたちは鳴き声も上げずに散り散りに飛び去って行ったんだよ。
俺は路上に一人取り残されていた。やがてだんだんに車通りがふえてきた。
早出の仕事の人たちだろう。・・・それにしてもこんなことが夜の街で起きている
