江戸の本屋
今回はこういうお題でいきます。江戸時代、特に中期以降は非常に
出版が盛んでした。今はAmazonプライムとかいろいろありますが、
江戸時代はネットもテレビもなく、知識人は本を読むしかなかったんです。
自分が江戸時代の文化人の書いたものを読むと、とても深い知識を
持っていることにいつも感心します。日本の歴史、中国の歴史、民間伝承、
とにかくあらゆることを知ってるんですね。おそらく争うように
本を読んで知識を吸収していたんだと思います。
当時の出版事情は、医学や博物学、また儒学の本などを出版する本屋は
書物問屋と呼ばれ、また、黄表紙や草双紙、浮世絵集などを
出版するのは地本問屋と呼ばれて区別されていました。
錦絵専門の本屋 今でいえば写真集?
当時の本は、話の作者が原稿を書き、絵師が挿絵の下書きを描き、
版木屋が活字と絵を彫り、木版に絵と字を組んで手作業で擦って印刷し、
ページを合わせて丁合をとり、端をそろえて切り、糸で綴じ合わせる・・・
たくさんの職人がかかわって複雑な工程を経なければなりません。
大変な作業だったんです。
ですから、本の企画ができてから出版まで数年もかかったんです。
企画を考えるのは版元の本屋で、それから実力のある書き手に
原稿を依頼します。挿絵のほうも同様です。
そしてこれらの原稿は幕府の検閲を受けなくてはなりませんでした。
ここまでえでたいへんなお金がかかっています。ですから、失敗すると
本屋の商売に大きく響きました。だから、当時の本ってすごく
高価かったんです。
『南総里見八犬伝』当時の大ベストセラー
例をあげると、井原西鶴の『好色一代女』の8巻本で銀25匁、
銭にすると1700文で、現在のお金で4万円くらいしました。ですから、
本を買えるのはお金持ちだけで、多くの庶民は借りて読んでいたんです。
貸本屋はたくさんの本を積み上げて背負い、得意先を回って営業して
いました。得意先は武家、寺、商家の隠居、文人絵師などで、
貴重な本の貸し料(見料)は定価の20分の1くらいでした。
それでも、当時の知識人は他人に負けたくないので、それらを読んで
知識をたくわえていたんです。実際、江戸の妖怪絵師、鳥山石燕の
書いた詞書を読んでも、和漢の古典に通じていることがわかります。
こうやって教養を積み重ねていったんです。
鳥山石燕の妖怪本
貸本屋は、借りた人が本を汚したり、書き込みなどをしてしまうと
追加料金を取ったそうです。一般的に軽めの黄表紙の貸し料は
24文(600円)くらいでした。
当時の本は糸で綴じているので、厚くすることはできません。ですから、
読書はお金のかかる娯楽だったんですね。貸本屋は『三国志演義』や
『南総里見八犬伝』などの長いものは、客が一冊読むたびに
次の巻を持ってきてくれました。
よく時代劇では、武士が灯火の下で書見をしている場面が出てきますが、
油が高価く暗かったので、庶民は日の高いうちしか読めなかったでしょう。
人気があるのは洒落本や浮世絵集、伝奇小説などでした。

貸本屋は客の前で何冊か本を並べ、講釈師のように筋書きの最初を
語って聞かせ、宣伝したそうです。あと、これは本とは違いますが、
お話屋という商売があり、料金を取って客にお話を語って聞かせました。
また、興味深い話があれば買い取ったりもしたそうです。
だいたいこんな感じですね。江戸の庶民は識字率が高く、また娯楽に
飢えていたんです。現在は活字離れと言われていますが、日本人の
DNAには本好きの血が流れているんです。では、今回はこのへんで。



