今回はこういうお題でいきます。これは古代の中国で実際にあった話で、

その顛末は『隋書』『北史』などいろいろな中国の史書に載っています。
まず、この事件の時代背景から説明したいと思います。

ときは隋の文帝(楊堅)の時代。中国の隋王朝の初代皇帝であり、
約300年ぶりに中国を統一した人物です。彼は北周の有力貴族の出身で、
581年に北周の静帝から禅譲を受けて隋を建国しました。

彼は中央集権体制を強化し、科挙制度を導入して官僚の登用を公平に
しました。また、均田制や府兵制を整備し、経済と軍事の安定を図りました。
彼の治世は「開皇の治」と称され、後の唐王朝からも高く評価されています。

 

隋の文帝



さて、次に猫鬼についてですが、中国語でマオグイと読みます。これは
蠱毒、あるいは蠱術と呼ばれるものから生み出されます。「鬼」は日本の

鬼ではなく、この場合は死んだ猫の霊魂ということですね。

 

また、「蠱」の字を見ればわかりますが、これは皿の上に多数の虫が

いるという意味です。たくさんの毒虫を食い合わせて

残った一匹を殺し、その霊を使役する。

猫鬼は6世紀から7世紀の中国で流行った呪術で、多数の猫を殺し合わせ、
残った一匹の猫の霊を使役します。ここで、なぜ猫を使うかというと、
猫は野性味の残った動物であり、家畜の牛馬などとは違うと考えられたからです。

猫鬼はねらわせた相手を病気にさせ、ときとして死に至らしめるだけではなく、
その家の財産を奪い取って、主人の元に持ち帰るとされました。
猫鬼が流行った隋代には、たくさんの猫が殺された記録が残っています。

 



さて、上記した文帝の皇后は独孤伽羅と言います。中国人らしからぬ氏名ですが、
これは漢民族ではないのかもしれません。その異母弟に独孤陀という
人物がいて、これが猫鬼を操った張本人です。

上開府・右領左右将軍の位を受けましたが、彼には左道を好むという噂が
ついてまわりました。左道とは邪法のことです。あるとき、皇后と家臣の
妻が同時に病気にかかり、医師の診断により猫鬼が原因であると判明しました。

そこで皇帝が調査を命じると、独孤蛇が猫鬼を宮廷に放ったということが
わかりました。独孤蛇はこのとき左遷されたんですが、
それでも文帝をそしることをやめませんでした。

 

中国ではドラマになっているようです この人が独孤陀



そして独孤蛇の下女の徐阿尼を尋問すると「わたくしはもともと独孤陀様の
お母上の家から参った者で、いつも猫鬼に仕えております。子(ね)の日の夜に
猫鬼を祀っておりますが、これは子は鼠だからだと言われております。

その猫鬼は人を殺すたびごとに、死者の家から財物をひそかに猫鬼を養う家へと
移すのです」と述べたんですね。怒った文帝は独孤蛇を殺そうとしましたが、
独孤陀の弟が宮殿を訪れて慈悲を求めました。

これにより独孤陀は死罪を免れたんですが、官爵を剥奪されて庶民とされ、
その妻は尼とされたんです。さらに、この頃の隋の都では、多くの人が
互いに猫鬼を使ったと言って訴訟合戦になっていたんですが、
文帝は猫鬼を行ったとされた家、数千家を滅ぼしたと言われています。

 

隋の2代皇帝 煬帝 悪逆非道で知られます



これが隋代猫鬼事件の顛末ですね。この後、文帝は晩年、疑い深くなり、
604年に病床で亡くなりましたが、その死因には謎が多く、
次男の煬帝(楊広)による暗殺説もあります。

まあ、猫鬼は当時の迷信だったと思いますが、煬帝による文帝暗殺は
実際にあったかもしれないと考えられています。つまり妖怪の猫鬼よりも
生きた人間のほうが怖かったわけですね。では、今回はこのへんで。

 

蠱毒の壺