今晩は。お初にお目にかかります。あ、あいさつはいらない? そうですか。
では、さっそく話を始めさせてもらいます。
えー、わたしは古物商をやっておりまして。といっても

店舗は持っておりません。古物の中でもごく特殊な物だけを扱う商売なんです。
ここの方々ならおわかりでしょう。いわゆる祟りをまとった品のことです。
ええ、わたしのような生業(なりわい)の者は他にもおります。
ですが、おおかたはどこかで地雷を踏んでしまうんです。そうして

不幸な亡くなり方をなさるんです。みな知識も経験も十分な方々でしたけどもね。
報酬は高いですが、それだけ危険な仕事ということですよ。
ほら、ご存じと思いますが、数年前、リマから呪いの仮面が来たときには、
あの祟りを受けて死んだ者の数は片手では足りませんよ。

ええ、ええ、外国の品でしたからね。本邦でこれまでやってきたノウハウが、
ほとんど通じなかった。実はわたしも少しかかわりがありましてね。
それは危ないところでした。ほら、こちらの腕を見てください。
焼けただれておりますでしょう。あのときにや受けた傷なんです。
ま、そんな綱渡りみたいな商売をして世を渡ってきたんですよ。
さて、今晩お話するのは、古い銅鏡についてです。古鏡ともいいますが、
熱心な収集家がおられるんです。これには注意すべき点が多々あります。
一つはその出自です。基本的には文化財ですし、盗掘によって

世に出たものがかなり多い。これは大陸から買った物でも同様です。
いや、むしろ大陸の方が世の中が混沌としておりまして、どっから出て、
どうやって売り出されるようになったか、詮索してはいけない場合が多いんです。

それと古鏡の場合はね、学術資料としてみるか、
それとも美術品としてみるかで、扱いが違ってきます。
銅製ですから、現物の多くは緑青で錆び錆びになっています。
学術資料の場合は、それに最小限にしか手を加えません。
紋様が削られたり、寸法が違ってきてしまう場合がありますから。
普通の人は、博物館などでこちらのほうを多く目にしておられるでしょう。
それに対し、美術品として扱う場合は、きれいに錆を落として水銀で磨き上げます。
まあ、本来あった姿に戻すわけです。鏡面をつるつるに仕上げれば、
現代のガラスの鏡に負けないほどよく姿を映しますよ。
またね、この時点で魔境であることがわかったりもするんです。
ああ、魔鏡というのは別に呪いの品ということではありません。

背面の紋様の凹凸によって、光の反射の中に像が浮かび上がるように

造られたものを、一般に魔境と呼ぶんです。例えばね、

江戸時代の隠れキリシタンの魔鏡などは有名です。光の中にキリストや

マリアの像が浮かび上がるんですよ。ああ、すみませんね。本題から話が

逸れてしまって。この間、さる好事家から銅鏡の鑑定を頼まれました。
この場合、鑑定というのは、時代や鏡の種類、あるいは値段などのことではなくて、
霊的な鑑定です。持っていても大丈夫か、家族に不幸が起きたりしないか

ということ。入手ルートはぼかされてしまいましたが、その古墳時代の

ごく早期と思われる鏡を買い、ガラスケースに入れて座敷に飾ったところ、
夜になると、部屋に光源もないのに鏡が光るということでした。
それとともに悲痛なうなり声のようなのが聞こえてくる。

ええ、わたしももちろん見せていただきましたよ。夜中の12時過ぎに

そのお宅を訪問し、鏡のある部屋に行ってみると、確かに鏡が光ってたんです。・・・通常、飾る場合は裏面の紋様のほうを前にします。
表はただの平らな面ですからね。光ってたのはその表面のほうです。
床の間の壁に、鏡面と同じ大きさの光の円が映り、
その中を一段と光度の高い蛇のようなものがぐるぐると回っていたんです。
鏡面から光が出ているわけです。回り込んで覗こうとしまいたが、
まぶしくて目を開けていられないくらいでした。
そうですねえ、どう表現したらいいか・・・たらいに水を張って、
その中に蛇を入れる。蛇は自分のしっぽに噛みつこうとして、
ひたすらたらいの中を巡る、そのような感じでした。

そしてね、「わうーっ、わうーっ」といううなり声が聞こえたんです。
一声聞いただけで、深い無念が籠もっているのがわかる声でした。
その場ではどうにもできず、いったん鏡を預からせていただいて、じっくり

研究しようと思いました。これはわたしにとっては初めての事例でしたから。
それで、こういう場合、いろいろ調査する方法はあるのですが、
今回は夢を用いてみようと思いました。ええ、わたしの得意な方法の一つです。
こんなときのために、ある寺院と契約しておりまして、
そこの「夢殿」を借りることができるようにしてあります。
夢殿、といえば法隆寺にあるものが有名ですが、他の寺院でも

付属施設として持っているところがあるんです。八角形のお堂ですね。
そこに鏡を持ち込み、布団を敷いた枕元に安置してわたしが寝るんです。

ええ、ええ、これまでにもこの方法でいろんな事実をつかんでいます。
これはわたしの親か教えられたものなんです。親父も祖父もわたしと同業でして、
そうとう古くから伝わっているのでしょうし、誰にでもできることでも

ないでしょう。おそらく、わたしの血筋でないと無理なのではないでしょうか。
詳しいことは言えませんが、細々とした準備をしまして、
10時半過ぎに眠りにつきました。堂内の明かりはなしです。すぐに寝入りまして、

夢を見ました。夢・・・といっても、すさまじい現実感があるんです。
わたしは宙の低いところを漂って、下を見おろしている。
地面の石ころや草の生えた様子などがくっきりと目に入ってきます。
もしかしたら、時空を超えて実際にその場にいるのかもしれません。
その夜も、気がつくとそういう夢の中にいました。

どうやら高く土を盛った岡の上のようでした。
土には何本もの柱が円を描くように立てられ、そのすべてに、枕元にあるのと

同じ形式の鏡が吊り下げられています。「ははあ、破鏡をやっているのだな」
と思いました。日時計の刻石のような角度で鏡を並べ、ちょうど太陽の光が

あたって輝いたとき、その鏡を一撃して割る、これが古代呪術の一つである

破鏡です。貫頭衣を着た古代人が数十人いました。歌うような節をつけて

泣く女たち。土盛りの中央に竪穴式の墓坑があり、木棺らしきものが見えました。
古代の葬式なのではないかと思いました。時間が早送りのように過ぎ、

鏡は次々と割られて、残すところ一枚となったところで、
急に空が陰り、大粒の雨が落ちてきました。それとともに弓矢と投石も。
敵襲のようでした。逃げ惑う人々。怒号、殺戮、血、すさぶ雨と風。

混乱の中に鏡は放置されておりましたが、一人の少女が近寄ってきて柱から下ろし、
胸に抱くようにして駆け去っていきました。・・・ここで、目が覚めたのです。
枕元の鏡は自ら光を発し、「おーん、おーん」と泣くような音を立てていました。
「これは世にあるべき物ではない」そうはっきりとわかったんです。
翌日、鏡の所有者である好事家に事情を説明して納得していただきました。
鏡は関西のある古墳上に持っていきまいて、好事家の立ち会いのもと、
光を受けて輝いた瞬間に打ち割りました。本来こうされるべき運命に

あったものなのです。鏡が大きな破片となって割れ落ちるとき、

中央から金色の矢のようなものが空に放たれました。
まあ、このような顛末です。・・・他にもろいろありますよ。
よろしければまた話をしに来させていただきます。

*学問的にはいろいろと違っているところがあります。