わたしが子どもの頃の話ですから、もうずいぶん昔のことですよ。
小さいときから、ジイさんっ子でね。よく後をついて歩いたもんです。
親父は勤め人だし母親は畑に出てることが多かったですから、そのせいもあります。
山菜採り、栗拾い、川釣り・・・釣りは退屈でした。
まだ小さかったから、自分の竿は持たせてもらえないし、
流されるといけないから、ずっとジイさんの側にいなくちゃならなかったですし。
それに、ジイサさんがねらってるのは大鯉だから、
1日釣って獲物なしてのがあたり前だったんです。
やっぱり山のほうが面白かったですよ。
あるとき、ジイさんといっしょにウサギ罠を見にいったんです。
山のあちこちに仕掛けてある。

ああ、バネ仕掛けのトラバサミじゃなく、ヒモでひっかけるやつです。
さあねえ、猟の免許を持ってたとか聞いたことがないですね。
昔はそういうことは大雑把だったんじゃないかな。
山のあちこち、獣の通り道に仕掛けてあるんです。それを順に見て回る。
ウサギにかぎらず、獲物があればその場で血抜きをして籠に放り込むんです。
いや、残酷だなんて思ってたらあんな田舎暮らしはできません。
すべては山の恵みとして、感謝していただくんです。
ジイさんは70過ぎてましたね。わたしは8歳くらい。ジイさんもわたしも、

今の子どもや年寄りとは問題にならないくらい体力がありました。
罠はね、もちろん何も掛かってないほうがずっと多い。
そんときは3つ目の罠に、遠くから灰色のものが掛かってるのが見えたんです。

野ウサギだろうと走って近づいてみると、それは汚れた毛の尻をこちらに向け、
頭を薮に突っ込んだ状態で動いてない。もう死んでるように見えました。
で、薮の向こうに回ってみるとやはりウサギでした。
垂れた頭を耳をつかんで持ち上げ、わたしは思わず、
「げっ」と叫び声をあげ、そこから飛び離れました。後から歩いてきた

ジイさんが、わたしの声を聞いて「どうした」と聞いてきました。
わたしはただ、その獲物のほうを指さすことしかできませんでしたよ。
「ふむ」ジイさんが同じように獲物を上向きにさせると、
ウサギの首の毛の中に、もう一つ小さい頭があったんですよ。
それが・・・見たことのない生き物で、一種のトカゲ、爬虫類なんだと思います。
鱗がありましたし、目も蛇の目で。それも死んでるようでした。

 

いや、ウサギがトカゲをくわえてるとか、ウサギの喉に穴が開いて、

そっから顔を出してるんじゃないです。文字通り生えてました。
奇形ですか?いやあ、頭の2つあるウサギってんならありえるでしょうが、
まったく違う生き物ですよ。それに、それを見たジイさんが、
「斑(はだら)様だ」って言ったんです。
でね、ジイさんは日の高さを見てから、わたしに、「ちょっと遠出

しなきゃならん。昼飯抜きになるが、坊(ぼう)はついてくるか?」
って聞いたんですよ。もちろん何度も強くうなずきました。
これから面白いことが始まるってわかったんです。「どこへ行くんだい?」

わたしが聞くと、ジイさんは「斑(はだら)神社」とだけ答え、
その獲物を背負い籠に入れて歩き出したんです。

ふた山越えました。といっても山は続いてますからね。2時間くらいの

もんです。その間、人の気配はまったくありませんでした。
道は、獣道よりはやや整った感じでありましたが、
最近の人の踏み跡は見あたらなかったと思います。
やがて、林の中に神社の屋根が見えてきました。千木って言うんでしょう。
あの独特のお飾りがついてまして。でも、集落の神社で見慣れた鳥居や、狛犬、
手水鉢とか、そういうものは一切なかったんです。賽銭箱も、鈴もね。
ただ黒い木肌の四角い小屋があるばかりで、屋根だけが神社風だったんです。
ジイさんは正面にまわって、無造作に引き戸を開けました。
中は高く埃が積もってましたよ。いや、新しい足跡は見ませんでした。
正面に祭壇の棚があり、上に立派な角の大きな牡鹿の頭だけが載ってたんです。

腐ったりはしていませんでした。今から考えると剥製の頭だったんでしょうかね。
かっと見開いた両眼はガラス玉だったのでしょうか。
それは怖かったですよ。子ども心にも何から何まで異様だと思いました。
ジイさんがその祭壇の前まで進み、床板の一部をトンと叩いて持ち上げたんです。
四角く、1m四方くらいの板が外れました。するとそこから、ムッと強い

臭いがしたんです。腐った臭いというより、黴びた臭いだったと

記憶しています。でも、好奇心があったので近づいて見たんです。
床下の黒土がかろうじて見えるほどまで、中には骨が溜まっていました。
太いのから細いのから、同じ種類の動物の骨ではないように思えました。
ジイさんはその上に、籠から出したウサギをゆっくりと載せ、
元のように床板を閉じたんですよ。

小屋を出ると、戸は開けたままで、ジイさんがわたしに、「坊、手を合わせて

お祈りをしろ」と言ったんです。「どんなことを?」と聞くと、
「そうだなあ、これまで山の生き物や魚、そういうものの命を食べてきただろう。
それに対する感謝みたいなことだなあ」こういう答えが返ってきました。
それで素直に手を合わせて目をつぶったんですが、
そのとき耳の底でキーンという音がしました。
ふっと自分が宙に浮かんでいるような感覚になったんです。
目の前をたくさんの生き物が通りすぎて行きました。
・・・中学校になって、理科で系統樹って勉強しますでしょ。
生き物の進化の様子が図になってるもの。あれに出てくるような、
見たことのある生き物、ない生き物・・・それらがぞろぞろとね。

ポンと肩を叩かれて我に返ると、ジイさんが笑ってました。
「おかしな生き物を見ただろう。俺も始めのときはそうだった」とジイさん。
小屋の戸を閉め、その日はそのまま家に戻りましたよ。
帰り道で「あそこは何だったの?」と聞いたら、
「斑(はだら)神社」と、さっきと同じ答えが返ってきました。
「どういうところなん?」と重ねて聞くと、ジイさんは考え考え、
「生けるものと死んだものの不浄を流すところだよ」と言ったんですが、
そのときはまったく意味がわかりませんでしたね。

ええ、今なら少しはわかります。ジイさんは「あの神社に行ったことを

父さん、母さんには言うなよ」と釘をさしてきました。

「どうして」と尋ねると、「あそこは嫌う人は嫌うから。

お前は山歩きを止められるかもしれんぞ」って。まあこんな話です。

※ まだ続きます