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日本人が最も好きな歴史上の偉人のひとり、坂本龍馬が、
歴史の教科書から消えるかも知れないという。
高校や大学の先生でつくる研究会が、暗記中心の授業を改めるため、
「歴史上の役割や意味が大きくない」用語を削ることを提案し、
龍馬もクレオパトラ、武田信玄、上杉謙信、吉田松陰などとともに
削減候補になったのだ。(読売新聞)
やや古いニュースになりますが、今回はこのお題をとりあげます。
さて、坂本龍馬は、日本人なら知らない人のいない明治維新の
立役者の一人で、歴史好きのみなさんの人気は絶大です。
ですから、この記事を書くのも ちょっとおっかなびっくりなんですね。
大学入試で、歴史の細かい用語の暗記力を問われることが多いのが
問題だとして、高校と大学の教員ら約400人で構成される
「高大連携歴史教育研究会」が、歴史用語を大幅に削る必要があると
提言し、文科省もこの動きに同調している、という報道でした。
ただ、消されると言っても教科書の本文からで、資料集などには
出てくることになるでしょう。で、まず結論から言えば、
自分はこの改革には賛成ですね。みなさんも、学生時代に勉強した
歴史の授業は、暗記中心の内容だったんじゃないでしょうか。
嫌いだった方も多いんじゃないかと思います。
懐手をした坂本龍馬
これは一つには、学習指導要領を定めた文部省の方針でもありますが、
現場の教師の責任も大きいと思います。暗記問題はテストを作るのに
楽なんですね。採点もしやすい。これに対し、記述式解答を増やすと
教師の負担が大きくなります。そういうこともあって、もう一生
使わないと思われる単語を、必死で暗記しなくてはなりませんでした。
まあこれは、歴史だけでなく地理もそうなんですが。
ですから、今回の改革案は自分は悪くないと思います。
ちょっと極端な意見かもしれませんが、歴史教科書には、もっと
年号ではない資料的な数字やグラフを多くすべきだと考えます。
あ、こういうことを書いていくとそれだけで記事が終わってしまうので、
龍馬のオカルトに戻します。まず、坂本龍馬最大の謎といえば、
京都伏見屋で暗殺したのは誰かということで、薩摩藩黒幕説とか
土佐藩説、新選組説、紀州藩説、さまざまな説が出されていますが、
そのほとんどは何の根拠もないおもしろ話です。
現グラバー園にあるフリーメーソンの印がついた門柱
定説どおり、京都見廻組が行ったということでいいんじゃないでしょうか。
見廻組は、寺田屋で公儀の捕方を射殺した龍馬を憎んでいましたし、
動機は十分です。しかも機会も実行力もありました。
見廻組のしわざで、何の不自然なところもないんですね。
で、この話題はたしかに謎ではありますが、オカルトとは言えません。
オカルト方面でよく出てくるのが、「龍馬はフリーメーソンだった」
とする説です。龍馬はフリーメイソンのメンバーだった
スコットランド出身の商人、トーマス・グラバーに操られており、
明治維新はメイソンによるクーデターだ・・・という陰謀論。
龍馬がトーマス・グラバーと接触があったことは間違いないですが、
そもそもグラバー本人が、フリーメーソンという証拠がありません。
グラバー=フリーメーソン説の根拠は、長崎の、現在は公園になっている
旧グラバー邸の門柱に、フリーメーソンのマークがあること。
高千穂峰にある天逆鉾
しかし、その門柱自体に説明書きがあって、この門柱は公園内に
含まれるものの、隣の旧リンガー邸のものなんですね。
しかも決定的なことに、昭和41年にまったく別の場所から移設されて
きてるんです。ですから、グラバー=フリーメーソン説は成り立ちません。
したがって、龍馬もフリーメーソンとは考えられない。
ただ、オカルトとしては人気があるんですよねえ。前に少し書きましたが、
龍馬が懐手をしているのはフリーメーソンの秘密のポーズであるとか、
龍馬はグラバーの手引きで1度アメリカに渡っているとか、
はなはだしいのになると、伏見屋で暗殺されたのは替え玉で、
龍馬はその後アメリカで没したとか。
下がアメリカで撮られたとされる龍馬の画像で、現地では
「RUMAN ルーマン」呼ばれていたということです。うーん、
これは美男子ですが、日本の龍馬の写真と比較すると髪の毛の
量が多いですね。まあこれも、おもしろ話というしかないようです。
アメリカに渡った竜馬ではないかとされる謎の画像
さて、龍馬には他にもオカルト話があって、龍馬が妻のお龍と
日本ではじめての新婚旅行をしたとはよく出てくる話題ですが、
それ以前に、新婚夫婦で旅行した人がいないわけはないですよね。
2人は鹿児島の高千穂峰にのぼり、その頂上にある天の逆鉾を
引き抜いてみたとも言われます。
さてさて、最後に龍馬の幽霊話。まず、暗殺された日の夜、
一人寝ていたお龍の枕元に血だらけでうなだれた龍馬が立ったという
ものがあります。それともう一つ、龍馬の死後、日本は日露戦争に突入。
その明治37年、御所の昭憲皇后の夢枕に、坂本龍馬と名のる男が
白装束で立ち、日本海軍の勝利を予言したという事件があったそうです。
昭憲皇后
そこで、臣下の者が坂本龍馬の写真を見せると、
皇后は、まさしくこの人が夢に出てきた人物であると言われた・・・
まあ、どちらも今となっては確認しようがないことですが、龍馬が
生きていれば、維新後は必ず教科書に載るような活躍をしたでしょうし、
日本の姿もまた違っていたでしょう。では、今回はこのへんで。