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火渡りの荒行

今回はこういうお題でいきます。またまたオカルト論ですね。
最近、オカルト論が多いのは、科学ニュースがずっと
コロナ関連一色になってしまって、面白そうな話題が
出てこないためです。さて、みなさんの中で苦行を実践
されている方っておられますでしょうか。

生活が苦しいとか、人間関係が辛いとか、そういったことは
別として、自分から進んで苦しみを求めるという人は
さすがにほとんどいないんじゃないかと思います。
これは、日本が仏教国であることとも関係があるでしょう。

苦行は主に、宗教の枠組みの中で語られます。
では、苦行は何のためにやるんでしょうか。これには
いろいろなことが考えられます。まず、人間を精神と
肉体に分ける二元論で、肉体を苦しめることによって
精神のほうを研ぎ澄ますといった考え方です。

『ダ・ヴィンチ・コード』
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禁欲や断食など、欲望を抑えるという形が多いですね。
あと、キリスト教のほうでは、宗派によって、
イエス・キリストの受難時の苦痛を自ら味わうための
苦行もあります。映画の『ダ・ヴィンチ・コード』には、
オプス・デイというカルト宗派が出てきてました。

シリスという鋭いトゲだらけの針金ベルトを太ももに装着し
痛みに耐える。自分の背中を自分でムチ打つなどの苦行を
行っているとされてましたが、実体はよくわかってはいません。
あの映画の中の描写はさすがに違うんじゃないでしょうか。

「ムチ打ち苦行団」
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同じく、映画の『薔薇の名前』では、やはり自分で背中を
ムチ打つ修道士が出てきますが、14世紀のヨーロッパでは
ペスト大流行のため社会不安が蔓延し、ドミニコ会の指導で
初めイタリアに「ムチ打ち苦行団」が組織され、
ドイツやフランスに広がっていったようです。

さて、ここからは仏教における苦行について書いていきます。
お釈迦様が苦行をされたのはご存知でしょう。
シャカ族の王子として生まれ、何不自由ない暮らしをし
10代で結婚した釈尊ですが、29歳のとき、
妻子を捨て、王城をひそかに抜け出して出家します。

この頃はまだ仏教を開く前だったので、釈尊もインドの
伝統的な輪廻転生思想の影響を受けています。
輪廻転生はカルマの一部で、この世で行った善悪が
業となって来世に影響を与えるという考え方です。

断食で骨と皮になった釈尊
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簡単に言えば、この世で善行を積んだものは来世で
よい暮らしができる。逆もまたしかり。しかし苦行には、
このカルマを打ち破る力があるとされました。このため、
釈尊も35歳で悟りを開くまでには、さまざまな苦行を行っています。

仏典によれば、釈尊が行った苦行は、「極限まで息を止める」
「直射日光を1日中浴び続ける」 「片足で立ち続ける」
「わずかな豆と水だけの断食修行」などがあったようです。
直射日光は大したことのない気もしますが、向こうの気候は
日本とは違い、すぐに熱射病の危険があります。

ずっと片手を上げ続ける苦行
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で、釈尊は骨と皮ばかりの体になり、苦行は肉体だけでなく
精神も消耗させることを知りました。そこで、悟りの一つとして
「中道」を説いたんですね。『パーリ仏典』には、釈尊の言葉
として「修行者は2つの物に近づいてはならない」と出ています。

一つは「愛欲や貪欲をよしとすること」、もう一つは
「自分に苦難を味合わせること」この2つの極端から離れた
中道を歩むことが最善としたわけです。ですから、
現在の仏教には苦行はありませんが、密教系には荒行と
呼ばれるものがあり、命を落としかねない激しい内容です。

断食9日、不眠の荒行 天台宗比叡山の「堂入り」
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さて、現代のヒンドゥー教にはサドゥーと呼ばれる苦行者が
いますよね。サドゥーはまず、あらゆる所有を放棄します。
中には衣服さえ身に着けず、全裸で生活する者、褌だけの者も
います。サドゥーになった時点で法的には死亡者とみなされ、
生活は人々の喜捨によって成り立っています。

これら苦行者の数は把握しきれていませんが、インド全域と
ネパールに500万人はいるのではないかと見られています。
サドゥーは、全身に針を刺す、転がりながらインド大陸を横断する。
一生を柱の上で過ごすなど、肉体に様々な苦行を加えることで
解脱を目指すわけですが、都市部には、観光客相手の

マジックです
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観光サドゥーと呼ばれる人々もいます。また、サドゥーは魔法の
ような呪力を持っていると信じている人も多く、「ババ」という
尊称をつけて呼ばれます。あれ、「サイババ」という人が
いましたよね。ですが、サイババの場合はサドゥーというより
スピリチュアルの導師というべき存在でした。

さてさて、けっこう書くことがありましたね。自分が思うのは、
輪廻や来世があるんなら、それはそれでいいのかもしれませんが、
もしなかった場合、ずっと苦行で過ごした一生はどうなんだろうなあ
ということです。信仰とはなかなか難しいものですね。
では、今回はこのへんで。

サイババ
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