これ、5年前に死んだうちのジイさんの話なんだよ。まあ聞いてくれ。
72歳で亡くなったんだ。早すぎるって歳じゃないし、しかたないんだけど、
亡くなった前後の事情がかなり奇妙奇天烈でね・・・
ああ、仕事は鉄道関連の会社を退職して、俺の両親と同居してたんだよ。
それで年金を小遣いにして、悠々自適の生活だった。
うん、体も悪いところはどこもなくて、毎日港に漁に出てた。
いや、漁師じゃなくて趣味でやってたんだ。釣りもやったけど、
メインはカニ籠だったな。岸壁に籠をしかけてモズクガニをとるんだ。
ジイさんがとったカニは臭みもなくて、味噌汁に入れても佃煮にしても旨かった。
んで、ある日、俺が高校から帰ってくると、ジイさんが庭にたらいを出して、
何か洗ってたんだよ。「ジイちゃん、何やってんの?」と聞いたら、

「今朝な、カニ籠にこんなもんが入ってたんだ」と、
たらいの中のものを持ち上げて俺に見せた。それが高さ50cmくらいの
赤黒いもので、そんときは何だかわからなかった。
「何だい、それ?」重ねて聞くと、
「木彫りの像みたいだ、恵比寿さまなんじゃないかなあ」って答えた。
「恵比寿さま?」 「ああ、頭巾をかぶって鯛を持ち上げてる」
・・・言われてみればそう見えないこともなかった。
「へえ、そりゃ縁起いいんじゃないの」 
「そうだな、恵比寿さまは漁師の守り神だし」
「でもそれ、カニ籠に入ってたの? 籠の穴よりずいぶん大きく見えるけど」
「それがわしも不思議なんだよ。それにカニ籠は底まで沈めてるわけじゃねえから、

海の中を漂って入ってきたってことになる」
「うーん、そうだよね」 「ところがなあ、これ、たらいに入れると沈むんだよ」
「きっと恵比寿さまのほうで、ジイちゃんを慕って寄ってきたんだろ」
そのときはこんな会話をしたんだよ。それから、
洗った恵比寿さまは庭の日当たりのいいところに何日か干されてあったんで、
見てみると確かに腹の出た人の形をしてて、両手で魚を抱えている。
今にして思えば、釣り竿を持ってないのは変だったけどな。
木目が浮き出てたから木製なのは間違いない。泥を落として

みると赤に近いえび茶色をしてた。ただし、何かを塗ったわけじゃなく、
そういう木の色みたいだったんだな。恵比寿さまは水気が抜けきるまで、
1週間ほど庭で乾かされていたが、その終わりころに、

野良猫が一匹、像の前で死んでたんだよ。上を向いて血を吐いて転がってた。
病気で死んだんだとそのときは思ったが、そういう猫の死に方って珍しいだろ。
うん、猫って普通は具合が悪くなれば、縁の下とか人に見えないとこで死ぬよな。
今にして思えば一連の出来事の、これが始まりだったんだろうな。・・・すっかり

乾燥した恵比寿さまは、ジイさんが使ってる和室の床の間に置かれた。
長い間海の中にいたせいで、輪郭はボケてるけど、
それなりに立派なものに見えたよ。ジイさんは木を磨く油を買ってきて、
暇があれば恵比寿さまをこすってて、
よっぽど気に入ったんだろうって家族で話してたんだよ。
で、それから3日くらいたった朝のことだ。ジイさんの部屋のほうで、
ガチャーンってガラスが割れる音がしたんだ。

家族はみんな起きてたんで何事かと見にいったら、
ベランダのサッシにカラスが頭から突っ込んでた。首を切ったみたいで、
割れたガラスの下のほうが血で赤く染まってて、カラスはぴくとも動かなかった。
ジイさんが恵比寿さまの前に正座してたんで、「どうしたん?」って聞いたら、
「カラスのやつが恵比寿さまをねらってきやがった。
けども恵比寿さまの力に負けてこのザマだ!」そう言って、
ガラスに刺さってるカラスを指差して嘲笑ったんだよ。
「えー、カラスが木の像なんかねらわないだろ」俺がそう言うと、ジイさんは

真顔で「いや、もしかしたら恵比寿さまのほうでカラスを呼び寄せたのかも
しれん。この恵比寿さまは命が好きみたいだから」こう答えたんだ。
うん、そのときはどういう意味かわからなかったよ。

次の日からジイさんはまた漁に出るようになった。カニ籠はやめて

釣りだったな。それが、毎日すごい釣果があったんだよ。
石鯛やスズキの大きいのがバンバン釣れた。
けど、それらを母親が料理してみると、なんでかどれも泥臭くって、
刺し身はもちろん、焼いても煮つけにしても旨くなかったんだよ。
もしかしたら、港に流れてる廃油かなんかを吸って育ったのかもしれん。
ジイさんは「どんどん釣れるのは、恵比寿さまが欲しがってるからだろう。
もう魚はお前たちにはやらん」そう言って、釣ってきた魚を竹籠に積み上げて、
恵比寿さまの前に置いてお供えみたいにした。
うん、その頃からジイさんの部屋が生臭くなりはじめたんだよ。いや、
季節は秋に入ってったし、朝に釣ったばかりの魚が1日置いたって腐るわけはねえ。

ジイさんは庭に穴を掘って、夜になると、恵比寿さまに供えた魚を毎日

埋めてたしな。この頃から、ジイさんの様子がいよいよおかしくなりはじめた。
朝に釣りに行って10時ころ帰ってくる以外は、
何もせずにずっと恵比寿さまを磨いてたんだよ。家族の食卓にも出てこなくなり、
母親に食事を部屋に運ばせるようになった。で、それにもほとんど箸をつけてない。
ジイさんは顔も洗わず、髭も剃らずで、どんどん痩せていった。
ときおり部屋を覗くと、恵比寿さまを抱え込むようにして、
にやにや笑いながら磨いてたんだ。それで、恵比寿さまはつやつやに光って、
なんだか赤い色がいっそう鮮やかになったように見えたな。
家族で相談して、これはちょっとジイさん、ボケがかってきたかもしれないから、
医者に連れて行こうってことになった。

ところがジイさんは頑としていうことを聞かず、
「わしが恵比寿さまを守ってないと、恵比寿さまが勝手に出かけていって
命をとってくるかもしれんから、それはならん」こんなふうに言ったんだよ。
続けて「恵比寿さまはもう、魚じゃ満足できんみたいだ。明日から釣りはやめる」
そんときはそれもどういう意味なのかわからなかった。
けども、翌日もジイさんは朝に出かけていって、
やはり昼過ぎに麻袋をかついで戻ってきた。
これは俺が学校に行ってていないときだから、母親が目撃したんだが、
ジイさんは得々として袋から中型の犬の死骸を出し、
恵比寿さまの前に捧げたって話なんだよ。しかもだ、その犬ってのが首輪がついた
明らかに飼い犬に見える毛並みのいいやつだったから、これはマズイだろ。

それで、母親は父親に電話をかけてジイさんを入院させる相談をしたんだ。
けど、本人が嫌がってるのを無理やり入院させるのはできないんだな。
措置入院ってのもあるけど、いろいろ複雑な手続きがある。
まず何よりも医者の診断がなくちゃいけないんだが、
ジイさんはどうしても医者にかかろうとしないし。
かといって、人の家の犬を殺しにいくのを黙って見てるわけにもいかんだろ。
それで親戚の男衆に連絡して事情を話し、何人か来てもらって、
ジイさんを家から出さないようにしたわけよ。
ああ、ジイさんが袋を持って外に出ようとしたら、
何人もでジイさんを押さえ込むようにしてな。そうやって3日がたった。
この間に、家族でジイさんのことを警察や行政に相談したんだ。

で、翌日のこと。その日も、朝からジイさんをなだめすかしてたら、
恵比寿さまのほうからカキーンという乾いた音がしたんだ。ジイさんは

それを聞いて「ああ、恵比寿さまが、もうこの家にはいたくないと言ってる。
海に帰るから最後の命がほしいとも」そう言うなり、
前にかがみ込むようにして咳き込み、大量の血を吐いたんだよ。
そのまま倒れ込んだんで、救急車を呼ぶしかなかった。
それで病院に着いて1時間後に亡くなったんだが、
死因を特定するために胃や腸、肺なんかを調べても、どこにも

出血するような病巣はなかったんだ。それから葬儀屋を呼ぶとかなんとか
すったもんだして、夜中にやっと家に戻ってきたが、ジイさんの部屋を見ると、
誰もさわってないはずなのに、恵比寿さまはなくなっていたんだよ・・・